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≪私学の系譜≫ ヴォーリズの意味[05]

☆第二次世界大戦突入によって、「崇貞女学校」は経営危機に直面したが、その時である、清水安三はヴォーリズを訪れる。そしてメンソレータムの中国での販売権を送られるのである。

☆こうして、清水安三は「崇貞女学校」と近江の往復の日々が始まるのである。その激務の中で、妻美穂は結核で他界する。美穂の遺骨は遺言にしたがって、「崇貞女学校」の一隅に埋葬された。

「清水美穂は、生涯、自分の楽しみを求めなかった。その身の3分の1を崇貞女学校に、3分の1を夫に、3分の1を子どもたちに捧げた。美服をまとわず、友人たちから貰った古着を着ての生涯であった。不幸にも早く亡くなったが、臨終に際して次のように希望された。わたしの遺骨は中国へ持って行って埋めてください、それがわたしの中国への最後の捧げものですから」

☆と墓碑には刻まれた。墓碑銘を書いたのはかつての「工読女学校」の卒業生だということである。この墓碑も遺骨も、日中戦争の混乱の中で行方不明になった。しかし、「崇貞女学校」は、今も「陳経倫中学校」として残っているそうだ。そして80周年を迎えた2002年に、清水安三・美穂夫妻を祈念する碑が除幕されたということである。今の日中関係を再建するには、≪私学の系譜≫の精神を忘却してはならないことを今もその碑は語りかけているのではないか。

☆この碑は、戦後日米間の関係を修復しようとしたヴォーリズの精神が宿っている彼の建築物の意味と同じなのである。

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