21世紀型教育が浸透しないわけ 学尊電卑
☆今年の慶応義塾大学の法学部や総合政策の入試問題における小論文のテーマは「未来社会」。昨年の京都大学の経済学部の帰国生の入試問題にも「未来社会」がテーマのものが出題されている。
☆一般の高校生や帰国生、大学生といっしょに考えていて、奇想天外なのもあるが、その根拠がエヴァンゲリオンだったり、ガンダムだったり・・・。慶応法学部のもオーウェルやハクスリーの話題が出ている課題文だから、悪くはないが。
☆かといって、コントロールの正義の基準問題や民主主義の意思決定メカニズムを持ち出しても、もちろん悪くはないが、どうも独裁国家に対する批判で終わってしまって、未来国家というよりも、20世紀の国家観のシフトの議論になってしまいがち。
☆大学合格の是非は、このあたりでよいのだろうが、この問題の作成者は、そこをねらっていたのだろうか。
☆どうも違うのではないだろうか。というのも、上記の入試問題の素材は、実はどれも1989年以降の話だからだ。20世紀型の独裁国家という構造はある意味消滅して、新しい卑劣で獰猛な国家構造が片方で生まれる可能性のある時代の話である。
☆京都大学の問題などは、渡辺昇一氏の書籍はインターネットと違い人間性や思考力を養う大切な道具なのに、サプリのごとく必要最小限の情報しか収集できないインターネットに締め出されているのは実に未来は危ういといった趣旨の文章を批判させているぐらいだ。
☆20世紀型の独裁国家に対する批判をそのまま当てはめれば、インターネットなんて多様性も豊かな感性もそぎ落としてしまう酷いツールという話になるが、1989年の冷戦終焉後、むしろインターネットを巧みに活用して自由と公平性を演出している国家の見えざるコントロールの力こそ批判しなければならないのに(今年の全国学力テストでインターネット利用率の高い学校の生徒の方がスコアが高いなどという文科省の報告書はまさにそれ。今までの学力とは違う知識基盤の力を身に着けようとしているのがインターネットなのに、いつの間にか現状の学力のサポート道具にすり替えている。現状社会肯定型にインターネットを引き寄せている)、インターネットでレベルが下がるみたいな、つまり官尊民卑、学尊民卑同様の構造がそこにはあり、問題を増大させこそすれ、何も解決できない高みの見物を決め込んでいる考え方だ。
☆1989年以降は、国家が再帰的近代化によって変容しているし、個人の変容に視点を移せば動物化しているわけだ。つまり、インターネットは国家や社会というものが付箋社会という絆が簡単に入れ替わる社会になってしまったところで、どういう役割を果たすかということを考察する時代の枠組みの中にある。
☆エヴァンゲリオンもガンダムも、国家観については20世紀型だとすれば、道具は新しくなるけれども、20世紀どころかモンテスキューの自動裁判官装置の可否と同じ議論に陥ってしまう。
☆大学入試はそれでかまわないのかもしれないが、せっかく未来を描くチャンスをつくるのであれば、そこは未来社会を考える準備を設けたほうが良い。
☆再帰的近代とか動物化とか冷戦以降の社会科学や現代思想を学ぶ教科は、学習指導要領にはない。本来情報という教科は、そこを扱うのであろうが、おそらくスキルに終始しているだろう。となれば、大学が受験生に準備講座をオープンするしかないだろう。
☆サンデル教授のコミュニタリアニズムが独裁的価値観に見えたり、21世紀型教育に対する軽視がまだまだあるのは、89年以降の社会や国家の変容を無視しているからである。インターネットやモバイルなんて役に立たない、むしろ害悪であるなどと不遜にも言っている見識者は、まさに20世紀型の権力エリートにほかならない。
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