なぜ麻布や開成、灘、栄光、海陽などは東大合格者が多いのか 渋谷教育学園との違い
☆前回の記事で、こう書いた。
教師が知っている解答をこたえられるかどうかの問題を生徒に出す。このコミュニケーション行為がすでに、抑圧型であり、隠ぺい主義型であり、ハードパワーを独占していることに気づくことができない日本社会。
☆このことに自覚的ではないが、気づいている学校が、麻布や開成、灘、栄光といった私立中高一貫校である。
☆このような学校の教師は、東大の問題を解いて初めて解答がわかるのではない。問題をみると、そこにぶらさがる、あるいはリンクする解答がわかる。つまり、問題と解答がすでにテキストとして眺望できるのだ。
☆これは、東大の問題をつくる教授陣の知識全体をとらえているからである。少なくとも、知の最前線の成果をふだんから探求し続けているから、その探究枠組みから問題が出題されているのがわかるのである。
☆そして、この探究枠組みを、生徒とシェアしている。そのシステムは膨大な読書量と膨大な論文作成量と膨大な取材活動量と膨大な講演聴解量にある。
☆この部分を一般に教養と呼んでいるのだろうが、実際には上記のような学校は、ここにもう一つ、「ディスカッション」が加わるのである。要するにサンデル教授の講義のようなチャンスがすでにあるのである。
☆この教師と生徒が対話するチャンスこそがシェアシステムである。
☆ただ、これらは、伝統の中で暗黙知化され、自覚的なシステムとしては表現されていない。もしそれが形式知化されていたら、他校も共有できるはずである。もっとも、暗黙知と形式知を要素還元主義的にとらえると、あるところで、停滞する。
☆たとえば、渋谷教育学園は、好例である。東大をはじめ、早慶など多くの合格者が出ているから、学内外気づかないが、同学園は上記のような学校や米国のプレップスクールなどを研究し、その暗黙知の奥義をシステム化した。しかし、学内全体でそれが浸透しているわけではなく、トップリーダーの采配で、進化してきた。
☆つまり、結局は要素還元主義的教育観がベースであるから、そのシステムはマニュアル化しているはずだ。麻布や開成、海陽学園のような新しい展望を見出すことは現状では難しいだろう。
☆それでも、東大、早慶や医学部など多すぎるぐらいの合格者を輩出しているのだから、誰(学内や受験業界)もその難局、つまり日本の教育改革の先導者になるのは難しいという局面を迎えていることなどまったく気づきもしないだろうし、そんな気づきは大きなお世話だと思っているだろう。
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