元祖なでしこ
☆1916年の婦人会新年会の集まりの時の写真。ここには各界の夫人と女子教育の創設者の面々が写っている。山脇、共立女子、跡見、東京女子学園、三輪田、嘉悦などの建学者である。次のような大正時代に活躍した女性の番付表もある。
☆なんといっても、与謝野晶子がドーンといることで、この女性チームがいかに凄い活躍をしたか、日本社会を本当に変えたかを物語っているが、ここに私学人がたくさん顔を出しているのは新鮮。
☆改めて私学人は、時代の精神を生み出してきたことが了解できるが、それにしても女性ばかりずらりと迫力がある。まさに元祖なでしこ。
☆女子学院、東京女子学園、桜蔭、嘉悦、共立女子、跡見、三輪田、東京女子大、実践女子、神田高等女学校の創設者や校長がずらりと並んでいる。同時代人であるから、当然ながら互いに知的刺激や影響を与えていたようだ。
☆彼女たちと議論したり相談に乗ったりした男性と言えば、福沢諭吉、江原素六、新渡戸稲造、内村鑑三ということになる。
☆この番付表には載っていないが、恵泉創設者河井道も同時代人だし、桜美林創設に尽力した清水安三とその妻清水郁子もそうだ。こちらはキリスト教人脈であるが、大事なのは、ヴォーリズと関係があることである。
☆ヴォーリズも同時代人であるが、第二次世界大戦を何とか食い止めようとしていたし、戦後天皇を救うために尽力した。それは河井道も同様だった。おそらく軽井沢で協力し合っていたに違いない。河井道は、新渡戸稲造の弟子で、内村鑑三の弟子である南原繁率いる教育刷新会議のメンバー。戦後教育基本法成立に尽力。
☆この新渡戸稲造、内村鑑三とともに戦後教育基本法の成立に尽力した1人に田中耕太郎がいるが、田中は、小泉信三や吉田茂、白洲次郎とともに軽井沢テニスコートで、現在の天皇皇后のキューピットになった。皇室外交の戦略をすすめたわけだ。
☆一方ヴォーリズの薫陶を受けたのは清水安三である。清水の紆余曲折とした人生において、ヴォーリズは思想面だけではなく、資金面でも支援した。
☆日本史の教科書には全く登場してこないが、≪私学の系譜≫は、日本近代史の重要なポジショニングを占めているのである。
☆特に民法典論争によって、完膚なきまでに私学の発想は排除されたが、どこまでもそれに抵抗し、戦後その発想を教育の憲法に盛り込めたが、再び教育基本法が改正され、その精神は危機に直面したが、3・11以降、リスボン大地震のときのように、民法典論争の時に排除されたフランス啓蒙思想的発想が復興し、近代の闇が救われようとしている。もっとも、油断するとすぐに忘却されるので、なんとかそれを防がねばならないが、その≪私学の系譜≫の火が、結果的にロールズやサンデル教授の思想によって継承されているのに今のところ安堵しているわけではあるが。
☆ともあれ、なでしこの系譜は、明治政府がその精神を捨て去って富国強兵に走ったのをなんとか変えようとしたチームでもあったのである。100年という歴史は長いようで、短い。なでしこの系譜は古いともいえるし、新しいともいえる。しかし、未来を見据えるのに、100年ぐらい前からの時代精神の変遷をみておくことは役に立つはずである。
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