新しい教育は新しい社会と個人に[01]
☆東大や一橋大などの秋入学やグローバル人材育成の話題、ハーバード大学などの一年間留学支援、IBの日本語バージョンの上陸などなど、その背景や人脈、そしてそれにすでに呼応している私立学校の情報など聞くことができた。
☆今回のイベントのように、私学は建学の精神を経済的にも独立自尊の気概と戦略をもって普遍化していく私学市場を創出すると同時に、受験市場からのニーズにも対応していくという両市場のカップリング戦略を実行しつつも、時代は私学市場のバージョンアップに期待しているという暗黙の認識を共有できた。
☆どんなに21世紀型教育を私学市場で形成しようと、受験市場がそのことを認識する新しい考え方やカテゴリー、意欲がなければ片面的でなかなか広がらないのであるが、IBなどを通じて海外大学の日本の教育市場に対するプレッシャーや国内難関大学の改革の意識の圧力が、受験市場の枠組みを崩し始めた。
21世紀型教育プロジェクトの拠点MITラボで
☆したがって、私学としては独自の21世紀型教育の市場の形成と市場であるからには、ニーズを感じてくれる仲間を増やしていくことに尽力していかねばならないことは確かであるようである。
☆しかし、新しい教育も、受験市場がまだまだ抑圧していて、社会や受験生個人の進化を停滞させる壁がある以上、なかなか浸透しない。やはり新しい社会観や個人観に気づいてもらう啓蒙活動も行っていかねばならない。八雲学園の近藤校長が、私学展の開会宣言で語ったことは、そこを私学全体でやっていく強く固い意志をもとうということだったと思う。受験市場のプレッシャーをプレイフルに変質するために、受験市場も共に変わる必要があるだろう。
☆受験市場は、目先の利益を考えながら、受験生は、いまここでから学ぶことができない。過去の役に立たない古びた知識データベースの出し入れをしているだけなのである。解なき社会や個人は、いまここに存在している。いまここで学ぶコトは楽しさ以上にプレイフルである。なぜなら、いまここでが未来につながるからである。
☆ところが、かつての社会に役立ってきた過去の知識データベースを未来のために、今はがまんして勉強しようと言われても、解はこれからみんなで作っていくから、せっかくプレッシャーに耐えて憶えた知識が役立たないという時代認識のGAPが、子どもたちの苛立ちを生んでいるのである。
☆この状況をなんとかしょうというのが、21世紀型教育の実存的問題なのである。ここに挑んでいるのがハーバード大学やMITの新しい学びの試みである。21世紀型のスキルやテクノロジーが進化しようと、20世紀型社会や個人観では、結局それらも20世紀型社会、つまり化石燃料奪取の国際政治経済社会の延命に力を貸すツールに過ぎなくなる。
☆そのことに気づいている海外各国は、日本の20世紀型社会をこれ幸いと戦略的に利用しようとしているわけである。IBの日本語版なんて話は、とりあえず日本国内では少子化で困っているという話だろうが、これだけ均質の初等中等教育が行き届いていて、1学年まだ100万人もいる国はほかにないのであって、格好のマーケットである。
☆石炭資本から石油資本、そして教育資本にシフトしている欧米諸国、BRICsは、教育やコミュニケーションを資本だと認識していない日本はすばらしいマーケットである。東大をはじめとする国立大学や文科省をはじめとする政府官僚は、自ら20世紀型社会や個人の枠組みのままで、門戸を開放しようとしている。
☆諸外国の人々と共に学び、共に生きるには、新しい社会や個人のコンセプトとアイデンティティを共に形成する知恵が必要であるというのに。共に生きるにしても、教育資本の独立自尊の精神はやはり必要なのは明治以来なんら変わっていないはずなのに・・・。もっというと、経済的自立なしには共に生きることはできない。教育資本こそ21世紀の経済的自立のカギなのである。
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