広尾学園の奥行きの向こうに[03]
☆しかし、広尾学園は安定を求めていない。常にダイナミックに変化していくことを熱望し、チャレンジャブルなその気概が、むしろ勢いを生み出しているのだろう。
☆論理と情熱が併存しているということ。2学期の始業式の時、大橋学園長は、一堂に会した生徒に向かって、静かに熱く語る。
ここにきて、毎日のように、アメリカの名門大学やイノベーティブな企業の方々から、広尾学園の教育の水準の高さに驚いたという評価の声を多数頂きます。この水準の高さは、先生方の日々の研究熱心さにもあるし、何よりここに集ったみなさんががんばっているからです。なぜなら、みなさんの学ぶ姿、英語でプレゼンしている姿、論文編集に取り組んでいる姿、創作活動に集中している姿を見て、称賛されるからです。そして、みなさんもそうだったように、研究に情熱を注ぐみなさんにあこがれて、学問に意欲と夢をもった後輩が続々集まってくるのです。広尾学園の教育の水準はとどまるところを知りません。
☆熱きメンタルモデルの共有をきちんと行っているのである。しかし、言葉を放っただけでは、情報は共有できるだろうが、マインドまでは難しい。なぜできるのか。実際に文化祭「けやき祭」で、英語でプレゼンしたり、研究成果の発表をしているから、実感を抱けるからだ。その通りであるが、それだけでは、実のところまだ難しい。
☆というのも、全体として、学びのオープンマインドは、すごいことだし、すばらしいことだ。しかし、研究や探究は、生徒1人ひとりの達成感や満足感に差異を生む。放っておくと、ほとんどが劣等感をもってしまうこともあるのだ。
☆そんな馬鹿な?と思うかもしれないが、思春期ではよくあることである。教師がこんなにがんばって、成果もあげているのに、なぜ悩むのかと優しく声をかけても、その生徒は、先生は何もわかっていない。このぐらいでは駄目なのだと思いがち。このような生徒はまだよい。むしろチャレンジャブルで微笑ましいのかもしれない。しかし、やっぱりウマくいかなかったと落胆から立ち上がれない子も実際にはたくさんいるはずだ。
☆このような生徒の心情を生み出してしまうのが、実は20世紀型教育。実際、世の中、自己否定感の高い生徒がたくさん生まれていることが、問題になっているぐらいだ。
☆ところが、広尾学園は、そうならないプログラムが随所にある。学園長の熱が、ポジティブに伝導する仕掛け。その一つがアートの授業。小さなものに、感動を見出すパワーが広尾のアートである。
☆何気なく、突然感動するということは、一生涯の中で何回かはあるだろうが、そう多くはないと思っているのが世間というか大衆。だがしかし、感動は見出すものなのだ。モノやコトをリスペクトし寛容な気持ちを開けば、あらゆるものが語りかけ、旋律を奏でてくれる。
☆学校案内で、美術や音楽などそれぞれ、1ページ活用しているところにその熱が伝わってくる。他校ではアート(体育も身体アート)のページが縮小されていたり、削除されているところもある。
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