グローバル人材教育研修会[04] IB vs. BC ②
☆ところが企業人である後藤氏がスピーチすると、教育的側面よりも市場の競争原理の切り口で語るから、IBの淘汰戦略が見えやすい。それに加えてグローバル経済に積極的なカナダ政府の政策の流れを背景にしているBCとのコントラストで、その淘汰戦略が浮き彫りになる。
☆IBはもともとノーブレスオブリージュというエスタブリッシュな人材育成プログラムである。たしかに現代的には富裕層エリートであるが、成金エリートを想定はしていない。ここにIB機構の想定と現在のグローバリゼーションのGAPがある。この悪貨は良貨を駆逐する流れからいかに脱するか?心あるIB官僚はいるのだろうが、歯止めはきかない気がする。
☆もともと、ノーブレスオブリージュを育成する欧州のリベラルアーツによれば、プラトン、アリストテレス、その伝統を基礎にしているヒュームやアダム・スミスは、競争概念を二つに分けていた。emulationとcompetitionである。エミュレーションは卓越を目指して凌ぎ合う競争のことを意味し、コンペティションは利益を得るために競争するのである。
☆プラトンやアリストテレスの時代は生産生活は奴隷によって成立していたから市場の原理なんて眼中になかっただろうから、競争といえば、エミュレーションだったわけである。このエミュレーションという意味での淘汰戦略が、NPOという市場の原理にないIBの戦略だったわけである。
☆ところが、89年のベルリンの壁崩壊を経験するというかその時代をけん引したサッチャー首相からブレア首相の時代は、インターナショナリゼーションからグローバリゼーションに転換した時代。それに米国はクリントン大統領時代。EUも成立し、世界がギデンズをブレインとする経済政策やジョン・ロールズをベースにする経済政策に転換していった。
☆教育、教育、そして教育というブレアのスローガンに象徴されるように、教育を支えているのは無償のパッションではなく、経済なんだということが明らかになった時代。このとき、アルビン・トフラーの軍事力から経済力、経済力から知識力というパワーシフトがベストセラーになったのは、それを裏付けている。
☆かくしてIBは、その淘汰戦略をエミュレーションの次元だけで考えているだけではなく、市場の原理というコンペティション戦略にも直面していたに違いないのである。
☆しかし、このことはふだん経済エリアに属していることを念頭に入れない教育に拠って立っている学校(経済は経営陣の考えることだと思っている学校)は、IBプログラムをノーブレス・オブリージュとしての世界標準のメガネしか見えないに違いない。
☆ついこのあいだまで、BCカリキュラムのような存在が知られていなかったのだから、財力にものを言わせてIB機構の経営戦略に乗る学校もでてきていたのである。その一つが玉川学園であった。
☆だから、後藤氏のトークを聴いて、玉川学園のIBプログラム実践の話や授業風景を見学すると、そのGAPに違和感を感じる部分もあった。この違和感を解くには、淘汰戦略を支える競争原理が、二重になっていることを理解していなくてはならない。
☆企業人である後藤氏は、コンペティションという意味での競争原理からIBを語ったし、玉川学園はエミュレーションの意味での競争原理からIBを実践している。
☆文科省はもちろん、後者のレンズでIBを見ているのである。しかし、IBプログラムは淘汰戦略=emulation/competutionというヤヌスの側面を持っていることを忘れてはならないのである。どちらか一方からのみ眺めると、理解は難しい。玉川学園のように、財力があるところは、その必要がないということだけである。
☆ところが、BCカリキュラムの方は、経済というものは、リーズナブルなグローバル市場社会を共創していくもので、それをベースに国や社会が成立する。だから、そのようなグローバル人材を共に育成していこうというビジョンである。
☆だからリーズナブルなコストで高品質・高インパクトのあるプログラムを共につくろうということになるのである。もちろん、コアの部分であるソフトパワーはBC州に属するのだが。
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