大学選び 読売の記事の妥当性と危うさ
☆読売新聞(2012年9月7日 )に、大学選びに関してこんな記事があると教えてもらった。
偏差値や学校名ではなく、教育内容で進路を選んでほしいと「大学の実力」調査を始めて5年目。高校の進路指導で様々な活用法が生まれている。調査の一覧表データと他の資料との見比べで「立体的な大学像」の把握を試みるのは、東京都立晴海総合高校だ。8月中旬の進路相談。担当の千葉吉裕教諭が看護の道を目指す3年女子に示したのは、文部科学省の「設置計画履行状況報告書」だった。大学・学部新設の規制は緩く事後点検は厳しく、が近年の流れ。点検状況をまとめた報告書は、新設の多い看護系学部の実態把握に向いているという。
☆これ自体は、たしかにある程度妥当性がある。松本美奈記者が「こんな生きた活用術に出会うと、うれしくなる。」という気持ちになるのもわからないではない。
☆しかし、大学選びというからには「選択プログラム」としてやはり評価する必要がある。この記事だけは実際にはよくわからないが、学校選びのプログラムの第一段階としては確かに部分的には妥当している。しかし、文科省が設置を認定し、そのチェックとしての報告書だけを情報とするのは、――おそらく千葉先生はしていない――誰もが感じる通り危うさがある。
☆大学選びの手順(プログラム)は、フィールドワークやどの社会の問題へオーナシップを感じるのか、世代を超えた対話をするというブレストの時期が必要である。同時並行して、大学や専門学校という機関の情報を文献やネットで探すということだろう。がしかし、そうはいっても、社会に出る前から、キャリア情報について精通していたら、大学選びのプログラムは不要である。
☆そうでないから、問題意識だけではなく、高等教育機関やポスト高等教育の社会状況など経済、政治、立法、近代の矛盾などの立体的な学びが必要になる。そしてさらに労働と仕事と活動と奉仕と職業と天職とはいかなる問題が背景にあるのか対話するプログラムが第二ステージだろう。そこに高校教師というメンターの存在意義がある。
☆そこに、プログラムとしての妥当性のみならず信頼性が生まれてくる。誰に対する信頼性かというともちろん教師と生徒の関係は言うまでもないが、社会とプログラムの関係性である。社会というのは組織とかばかりではなく、これから出会うであろうイメージのステークホルダーも含む。
☆生徒が選択する道は、自分に対して利益効果があるのみならず社会に対しても利益インパクトがなければならない。
☆そしてさらに第三ステージは、もほや高校の先生のレベルではなく、大学人や市民社会の視点で、大学選びを考えるプログラムが必要である。新たなメンターの登場である。
☆最近では、オープンキャンパスやプログラム体験、ワークショップに参加するイベントが各大学で創意工夫されている。そこでは、教育内容のアピールが主であるが、今後の社会を拓くコミュニケーションがなされているかどうかがメンターのキャラクターでわかる。大学自身の成果主義のためにおこなっているのか、生徒獲得の交渉のために行っているのか、それとも問題意識を了解し、教職員と学生がインタラクティブな交流ができるのかどうかなどがわかる。
☆人間は未来の目標を持つことも大事であるが、それにむかって成長できるかどうかだ。それは自らの成長を実感しながら歩める対話の環境があるかどうかである。
☆このような一方通行の擬似対話という交渉ではなく、了解しあう交流としてのコミュニケーションを大学や専門学校がベースに持っているか――これが新しい社会や新しい個人のベースなのであるが――どうかが、プログラムの正当性だと思う。
☆プログラムはプレイフルでアートフルでなくてはならないが、その舞台裏では、妥当性、信頼性、正当性がどのくらいのレベルか評価は避けられない。文部科学省の「設置計画履行状況報告書」は、それ自体は妥当だろうが、この現状の高等教育のシステムの状況をどのように改革するかが明快ではないという信頼性、まして正当性が見えてこないことに対するジャーナリズムの視角はぜひとも欲しいところである。
☆生徒にとっては、いまここでが大切なのだから、システム全体に関して問い返す役割は、私たちもいっしょに考えていかなくてはならない。ジャーナリストの問題だけではたしかにないのであはるが。
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