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学校説明会 対話の雰囲気を評価する

☆学校説明会に参加して、理屈より<モラルより<雰囲気をまず感じるはずだ。しかし、雰囲気ではわからないからと、実際にトイレをみたり、教室の整理整頓をみたり、下駄箱の様子をみたり、授業見学の際には、生徒の授業モラルを気にするだろう。それは目に見えることだからだ。しかし、モラルだけではなく、シラバスや生徒の作品があったら論理的によしあしを評価しようとするだろう。

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☆それは間違いではない。しかし、この生徒獲得難の時代に、トイレが汚いとか授業モラルが乱れているとか、目に見える段階で、ダメな学校は論外だろう。したがって、そういうところはどこの学校も身構えているはずだ。よって違いはわからない。

☆すると、やはりシラバスとか授業内容ということになるが、これをどのように分析できるのだろうか?せいぜい先取りとか時間数が多いとか、独自のプリントだとか、読書量だとか圧巻な論文集があるとか・・・そういうことしかわからないのではないだろうか。

☆ところが、先取りしないでエンリッチシラバス、つまり豊かに横断的にリンクしながら進む学校が実績を出していたりする。独自のプリントだと思っていたら、入試問題のキリバリだったりする学校もあり、本当のところはよくわからない。

☆何もやっていないのだけれど、実績が出る。しかし塾予備校に行っているからと在校生がそっと回答している学校もある。よくわからない。

☆がそんなとき、ファーストインプレッションに立ち返ろう。感じが良いとか、元気がでるとか、未来のことをかたるのだけれどどうも定番で高ストレスな感じだとか・・・・・。そういう学校雰囲気が大事なのである。

☆そんな主観的な判断材料なんてと思うかもしれない。いやいや、雰囲気はコミュニケーションが作り上げるものだから、意外にも言語の出来不出来が表れているものなのである。言語は何も論理的な側面だけがあるのではなく、感性的な側面や感情的な側面もある。そしてなんといっても超感性的な側面がある。

☆超感性的なものなんてオカルトじゃないかといわれるかもしれないが、そうではなくて、音楽を聴いてやる気になったり、美術作品に触れて癒されたり、物語を読んでピンときたりとかいう経験をしたことがあるだろう。五感や論理でとらえられないアイデアや気分の領域である。

☆それらが合わさって、雰囲気を作るのである。したがって、その雰囲気の根源である、その学校の教職員の対話の雰囲気をセンサーで感じることは大切なことなのである。この対話の雰囲気を本当に納得のいくものなのかどうか、帰り道道、振り返るときに役立つ本が、前回ご紹介した高田明典先生の「コミュニケーションを学ぶ」(ちくまプリマ―新書)である。

☆この本のコミュニケーションの分析軸のうち、簡単に考えるために「交流―交渉」軸、「成果志向―了解志向」軸を掛け合わせてみよう。すると、上記の図のように、4つの雰囲気が表れる。双方向的に了解し合う対話をする学校からは、理想的な雰囲気がたちあがる。その中でも何人かの先生は、「双方向的対話の雰囲気を出しながらも成果もきちんと志向しているよ」という戦略的雰囲気を出してくれると、保護者も安心するだろう。

☆しかし、露骨に成果志向で押しの強い交渉型の対話をする先生は―受験業界人には多い雰囲気―功利主義的で実際的な雰囲気を出す。もちろん、こういうスタイルに魅力を感じるというのはあるだろう。

☆また、冷静に相手の話を受け入れながらも、損得を計算する合理的な雰囲気の対話をする教師や学校もある。どの雰囲気がよいのかは、選択の自由!であるが、Aの理想に燃えつつもBの戦略的なタフな雰囲気を出している学校が人気があるのではないだろうか。

☆もちろん、AやBを装いながら、実際にはCというのはあるし、本来はDなのだが、Dゆえに参加者に合わせてすべての雰囲気を演出するという学校もあるだろう。

☆そんなところまで判断つかないという場合、生徒が説明会で証言しているかどうかは重要である。どんなに演出されていても、生徒が自ら語る学校説明会は、その学校の真実の雰囲気を表すものである。ただし、演奏や演技を発表するだけの場合は、むしろ警戒したほうがよいだろう。トレーニングされているのだから。そのへんの違いは、意外と見破れるものである。

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