女子と男子 小学生児童のころから差異はある
☆女子は、もともと描いたパステル画を再度描いた。
☆男の子は、パステル画では、窓の向こうに電車を描いた。物語のコンテクストには、電車はないが、自由に想像して描いてよいのだから、問題ない。
☆この違いが是正される教育はない。小学校の時はおそらく必要がない。しかし、中高の思春期の時、この差異は、自ら認識するメタ認知が必要である。なぜなら、そのものを描いたり考えたりしていると、そのこだわりが、出来不出来の優劣を生む。そこに劣等感が生まれる。
☆窓の外の自分の心を、世間の基準から排除されて、自分の才能を排除されてしまことがある。劣等感ではなく、自己否定感が自らを軽んじる。
☆子どもたちの才能を生かし、才能を発見する作業こそ、教育である。精密機械など比べものにならないほど、人間は繊細だ。にもかかわらず、その扱いが機械以下であるのが今の教育。文科省の言説そのものがそうである。
| 固定リンク
「dialogue」カテゴリの記事
- 問いの作り方【02】反転。すると問いのパターンが・・・♪(2017.04.20)
- 問いの作り方【01】条件という方法(2017.04.19)
- 2014年 教育の拡張の時代(2014.01.04)
- 10代から30代が描く国のカタチ(2014.01.03)
- 東浩紀氏の2014年ビジョン(2014.01.02)
最近のコメント