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かえつ有明型別学システム

☆来春から、かえつ有明は共学でありながら、授業は別学という新しい共学校のシステムをスタートする。すでに一期生でその強みと弱みは実証済みで、それをソフィストケートしたものとなるということだ。

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☆昨日8日の学校説明会で配布された資料の中には、このような男女の特徴の表れた成長曲線イメージが掲載されていた。男子はノビノビ型で、ともすれば調子にのって万能感をいだきがちである。だから、それをノビノビ互いにチームをつくって信頼感に転換させる教育が必要になる。この教育は、授業の中で、知的な活動を通し、自己認識させる以外にないという教務的な発想から生まれたようだ。

☆知的好奇心が一致したとき、その燃え上がる男子の良い意味での狂気は、女子からみれば、オタクにも見えるし、子どもだなと冷ややかに見られる場合もある。いや実際には女子はそうは思っていなくても、男子は照れる自分がそう思わせるものだ。

☆それなら話し合えばよい。それはもう少し時期がたってからの話だ。思春期というのは、まずは男女の違いを意識するものだ。意識しなければしないでそうれは、どこか変だと思われるから、結局は、すぐにはコミュニケーションはうまくいかないものである。

☆そういう思春期の体験は大切だ。だから、共学なのだ。しかし、感情や感性はときに知性の才能を惑わすものである。多くの場合、才能は他者、特に異性の目を気にして埋もれてしまう。最大公約数の世間一般の才能を磨こうということになり、優劣の差ができ、そこで打ちひしがれる。もっと多様な才能があるのに、他者の目を気にしないでというエールは、わかっていないなと、さらに深く深く自己否定感をつのらせることになりかねない。

☆そこで、ノビノビ知的好奇心が一致するチームをつくっていくのである。

☆一方、女子は一つのことにこだわりがちである。男子と同じように好奇心はある。しかし、そこはノビノビというよりコツコツ。ひたすらコツコツ。要領のよい女子ももちろんいるが、そういう子は、別のところに興味がある。そして、それは努力とか自分を見いだすというのではなく、どちらこというと世間が大事なのである。かえつに来る生徒は、大事なのは世間の目ではない。だから、自分を磨くためにコツコツなのだ。

☆しかし、コツコツの度が過ぎると、結果重視になる。そこにできふできの比較が生まれる。ここに劣等感が大きくなる危うさがある。卒業生の話をきくと、ここからどうやって抜け出るか、それが問題だったと言う。

☆これはある調査でも明らかになっているが、思春期において、女子はチームづくりをしているチームメンバーでない自分がいるのである。必ずしもチームの絆ができればそれで満足というわけではない。そのプロセスのでき方の結果が大事になる。終わりよければすべてよしにはならない。

☆男子にはわからないのよ、そう単純ではないのだから。。。ものごとは単純でもいいじゃないかという話に満足はしない。思春期の女の子にはファンタジーが必要なのだ。コツコツという過程をファンタジーというプロセスに転換させる。まったく違った雰囲気になる。やっていることは同じだが、コツコツと痛々しい気持ちからファンタジーに夢中になるプレイフルな気持ちは、やがて集中にシフトする。コツコツからは集中は生まれない。何が違うのか、時間と速度の違いである。

☆ファンタジーなら男子にもと思うかもしれない。大雑把にはそうである。しかし、男子の場合はファンタジーには興味はない。麻布の国語の素材はファンタジーが多いではないかと。それはジャンルで、心的構えの話ではない。

☆男子はファンタジーを異次元ととらえる。次元が違うが夢ではない。ここまで考えて初めて、女子は言語能力にすぐれ、男子は数値的能力にすぐれているという通説の意味が理解できる。通説は通説だが、されど特徴をつかんでいるのである。

☆言語も数値も記号であるが、言語は新たな夢を生み、数値は新たなリアルを構築する。それが生まれながらにしてなのか、社会やそれに規定される家族の影響による社会構成的なものなのか、その起源はわからない。ただ、そういう違いが厳然とあるのである。

☆そこを意識して男女ともにメタ認知まで高め、それぞれの特徴をつかみながら、自分に不足しているところを認識して、自分を広げていく。それがいよいよ高2になってからである。

☆生得的にそうなっているのなら、そして社会構成的になっているのなら、どちらにしても、汝自身を知れというソクラテス以来の思考は、自分ひとりの力では困難である。この困難な歴史が、人間の歴史だったのかもしれない。汝自身を知れ!ただし、one for all all for oneという新しい学校のシステムによって。ここにかえつ有明型別学システムが、受験市場におけるマーケティングの方法論ではなく、創設者嘉悦孝がそうだったように、人間の歴史上の意義として登場してくるのである。

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