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影響力のあるものどうしが責任を果たす?

☆先日東京で開催されたIMFの年次総会について、JPPress(2012.10.18)は「IMFが発した警告と励まし 各国が行動しなければ、世界経済は一層弱体化」の記事で、こんなことを書いている。

 赤字国の経常収支不均衡は、その経済規模が縮小するにつれて消えると予測されている。しかし、黒字国の経常収支黒字が減少するとは予想されていない。

 これは世界にとって近隣窮乏化を招く組み合わせだ。良心に反するものでもある。ユーロ圏が需要を健全な水準に維持することは、ユーロ圏と世界のために不可欠なのだ。

 IMFは、本来すべき通りに警告し、奨励した。その警告とは、世界経済は脆弱で、適切な行動が取られなければさらに弱体化しかねないという内容だ。そしてIMFの奨励は、影響力を持つ国々が行動すれば、経済を強くできるという考えである。影響力には責任が伴う。今こそ行動しなければならない。

☆なんて優等生の解答。これがグローバリゼーションの発想だといえるだろうか。インターナショナリゼーションの発想。もっともIMFはグローバリゼーションの文脈で構築されているわけではないから当然かもしれない。

☆影響力が何であるかは、これまた難しい話であるが、影響力のあるものが結束して世を救うというのは、歴史上あったのだろうか?自分たちの利権を守るために、その錦の御旗として、世のため人のためとは言ってきただろうが。。。

☆この話は医療活動や教育についてもいえる。貧困の国の子どもたちのヘルスと教育は凄惨なものがある。そこでこそ優秀な医者や教師が協力し合って欲しいものであるが、世はそのような動きにはなっていない。

☆日本国内でも、ローカルと都心部での格差は、同じような状態になっている。凄惨さの度合いは違うが、構造は相似形である。

☆中学入試の場も同じである。御三家とか灘とか、影響力のある学校が、脱偏差値を叫べば、つまり模擬試験から離脱すれば、脱偏差値の新しい学習観は生まれる速度は速まるが、無関係な顔をして、受験市場の核に収まっている。

☆協力して新しい学びの市場を創ると社会貢献の責任を果たせるのに。そうはしないものなのである。これらの学校は、IMFの奨励を時事問題の一環としてどのように読み解くように指導しているのだろうか。「影響力を持つ国々が行動すれば、経済を強くできる。影響力には責任が伴う。今こそ行動しなければならない。それは君たち一人ひとりのことでもあるよ」ということになるのだろうか?それとも「そんなの関係ない!」と踊りだすのだろうか?

☆どうやら、既存の影響力に頼ることばかり考えるのではなく、影響力はここから、あそこから、今から、未来から、始めるというのが現実的のようだ。そして、既に小宇宙の複雑性から「変わる教育」の音が響いている。

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