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変わる教育[49] AERA記事「公立中高一貫校併願のこの私立」

☆AERA(2012.11.12)に、「卒業生が実績を出し始め、存在感を増す公立中高一貫校。ベストの併願先の組み合わせはどれか。私立入試とは傾向が違う適性検査にどう備えればよいか」というトピックの記事が出た。

Aera

☆市場の流れとしては、従来私立と公立のすみわけがあったのが、私立受験者が公立中高一貫校も積極的に併願するようになってきたということのようだ。

☆コストの問題だけではなく、公立中高一貫校の教育の質を評価した結果であると。しかし、これは受験市場の教育の倫理を無視した流れである。もともと私立中高一貫校の教育の質を公立学校の生徒にもという政策なのに、そこに私立組が参入すると、結局公立中高一貫校のみ受験しようと考えている受検生にとってそのチャンスが奪われる。

☆もちろん、市場主義的には、そうすることで、公私の中高一貫校の教育の質が切磋琢磨されるからよいのだということにあるのだろう。それに、もともと公立中高一貫校の存在が教育の公平性というものを無視してできたものであるから、市場の原理を内包していたのだ。

☆今さら教育の倫理を持ち出しても仕方がないと。

☆たしかにそうであるが、教育の格差の問題やその背景を問うのがジャーナリズムではないかと問うているだけである。模擬試験のデータをなぞって文字化しただけの記述をどう分析するかが重要なのであるが、データの上下や偏差をあげつらっているだけでは、公立中高一貫校の適性検査と同じである。

☆そのグラフから何が読み取れるかという適性検査の問題は、たんにグラフの上下や偏差を文字に置き換えるだけの問題で、その背景やデータ収集の問題点を指摘するものではない。なるほど、公立中高一貫校と私立中高一貫校の適性検査や入試問題は傾向が違う。

☆前者はWHATを問うが、WHYを問うことはない。なぜなら、知識を妙に敵視するからである。知識とは本来教養である。この教養は突然中高で身につくわけではない。

☆市場主義原理の恐ろしいことは、これである。つまりテクニカルなものの見方しかせずに、ファンダメンタルなものの見方を無視してしまうという点なのだ。この動きは金融市場でもっとも典型的に顕在する。悪貨は良貨を駆逐するのは今までの世の流れである。

☆しかし、それが遂にこのデフレ脱却を困難にしているわけである。欲望資本主義から公正資本主義へという道が、3・11以降叫ばれているにもかかわらず、欲望資本主義の価値観の教育を強化する教育ジャーナリズムの限界は認識したい。

☆そのうえで、適性検査と入試問題は、パターンが違うだけではなく、思考の構造が違うのだということをはっきりさせておきたい。

☆記事の例に取り上げられている小石川の適性検査をよくみれば、先述したように思考の構造が、テキスト(文章・グラフ・表なども含む)の読み取りで終わっている。教科横断型というパターンも違うが、それ以上にPISAでいう思考のレベルが浅いのが、公立中高一貫校の適性検査である。

☆それに教科横断型というパターンにしても、見かけだけで、実際は教科型である。小石川の適性検査はⅠ・Ⅱ・Ⅲという3種類ある。多くの公立中高一貫校も同じようなパターン。Ⅰは文章題と作文。国語の問題である。Ⅱは、社会科となんと恐ろしいことに道徳の問題が出ている。ここに入試問題という表現ができないおそろしい理由が存在しているのだ。道徳とはここでは学習指導要領に基づく国家道徳だから、思考停止問題である。

☆Ⅲは、理科と算数の問題である。これでは、私立中高一貫校の受験勉強した生徒にとって、楽々できる問題である。

☆そのようないい加減な教育政策ばかりやっているのだから、未来は危うい。こういうときはどうするか。粛々と誠の道を私立学校は歩むしかない。だから、佼成学園女子や文化学園大杉並のように、公立の適性検査とは似て非なる、純粋に思考過程だけに焦点をあてる問題を開発している学校の教育の質がきわだってくる。両校は多くの公立中高一貫校と併願になっている学校であるが、実際に両方受けた生徒は、その質の違いを身体で感じるだろう。

☆公立中高一貫校の問題点を、教育行政や政策で闘うのではなく、考える問題とは何かと問いかける接近戦によって、崩していこうという市場の原理を逆手に取った果敢な挑戦にエールを贈りたい。

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