変わる教育[59] 麻布学園の存在理由
☆麻布学園の近況を見ては「青年即未来」の環境に安堵している。高校時代から遠く北の地で麻布の生徒になぜか出会っているわけだが、Hondaと協働して新しい学習プログラムを作っていたころも、今も麻布出身者の友人は多い。
☆そしていつも同じ麻布感覚を感じるのである。もちろん、コアだけであって、ものすごい個性的なペルソナの持ち主ばかりだから、全然違うし、成功している友人もいるし、放蕩している友人もいる。
☆しかし、彼らはやはり麻布のメンタルモデルを関数態として表現している。つまり、麻布の人間像はA=a+b+cという要素還元主義的な組み立てになっていない。
☆つまり、a=高偏差値、b=自由、c=難関大学合格という要素を足し算した総和で表現できない。公立中高一貫校などは、これでいくしかない。しかもb=自由は学習指導要領内でという制約付きだ。この枠内でも、科学的思考や論理的思考や学歴エリートを輩出できるわけだから、それはそういう価値観を選ぶというところで、価値自由だと思っている。
☆しかし、グローバルな時代、つまり歴史的条件は違うが、明治維新の時の様に青年即未来のグロバール世界を視野にいれるとき、A=a+b+cという要素還元主義で乗り切れないということは、今となっては私が言うまでもないことである。
☆麻布の江原素六をメンタルモデルにした人間像は、y=f(x)という関数態なのである。xは、無限の個性であるから、生徒1人ひとりの人間像であるyの値は別々になる。しかし、かれらはy=f(x)という関数はメンタルモデルとして共通なのである。
☆不易流行であるから、もしかしたら、y=f(x)・g(x)になるかもしれない。しかし、y=f(x)は不易である。そして、このy=f(x)こそ、江原素六その人の生きざまに他ならない。だから、麻布の生徒は、江原素六を知り、墓参もする。
☆麻布の近況で、高2の日常の学園生活が写っている。早弁しても微笑んでいるその視線は江原素六が寮で規則を破った生徒を受け入れる時の視線そのものだし、ロンドンオリンピック女子柔道78kg級の銀メダリスト杉本美香選手が男子校にひょっこり現れるのも、ネットワークの広さだが、それもまた江原素六の人徳と高い知恵ゆえに広い人脈を持っていたのと同じである。
☆麻布が、開成に比べて入学者数が減ったとか、東大合格者の人数が安定しなくなってきたとか、教職員の給与がなかなかのもので、財政難だとか、世はいろいろウワサするが、銃弾をくぐりながら、自ら青年即未来として、あるときは軍隊の基礎をつくり、あるときは酪農の基礎をつくり、あるときは言論を闘わせ、あるときはクリスチャンとして殉教をすら考え、あるときは・・・。そんな幕末から明治を生き抜いた人間像の関数態としてのプロットタイプが、一時の倫理なき市場主義に耐えられないわけがないと思っている。
☆ただし、関数態として写像変換したりトポロジー変容したりする不易流行は大いにありだと思う。
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