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変わる教育[60] 香蘭女学校の知

☆香蘭女学校の約50%は立教大学に進学する。そういう意味では立教女学院に似ているが、立教女学院の知は実にプラグマティックにタフに形成されるのに対し、香蘭女学校で生徒は知をまるで風の流れにのるかのごとく形成していく。

☆どちらがよいか、それは価値観の問題で、私のコメントすることではない。しかし、軽井沢にたまにいくと、思い出すのは香蘭女学校である。同校のキャンパスは、大名庭園の面影を今も残しており、明治時代に欧米人が訪れて、心和ませた環境を今に残しているからだ。軽井沢の街づくりも、その欧米人の感性がもたらしたもので、どこか共通の感覚が響いているのである。

☆今はおそらく南館はメディアセンター機能が中心になっているのだろうが、その閑静な空間は軽井沢を彷彿とさせる。また一番新しいピカステス記念館も軽井沢との共通感覚が存在している。

☆この静かな風の流れに、毎月チャプレンがメッセージを載せるのだが、これが実によく考えられた知の仕掛けなのである。

☆エピソードとして物語が語られるが、そのシークエンスは弁証法的。だから物語の流れのの中にすでに気づきが生まれるのだが、そこで止まれば、教会での神父や牧師の話と同じである。教会に通っている信者が、香蘭と同じような知を形成しないのは、仕掛けが違うからだ。信者はひたすら信仰によって、神と結びつくことだけが重要なのだが、香蘭女学校の生徒は必ずしも信者ではない。

☆だから、信者でなくてもこの世間の虚偽やリスクから身を守るクリティカルシンキングが養われなければならない。

☆したがって、物語をいかに解釈するか、つまりは、メタファーをどのように瞬間的に突き抜けるかを学べるメッセージとなっている。

☆立教女学院の場合は、その物語自体をつくるドラマティカプログラムが用意され、それはそれでタフな知であるが、香蘭の場合は、一瞬にして突き抜ける風のような脳の作用がトレーニングされる。

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