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教育インパクト[03] これから起こること コンドルと岩崎彌之助と渋沢栄一

☆東京駅丸の内駅舎の復元完成は、メイカーズやクリエイティブリーダー、グローバルリーダーを包括するクリエイティブクラス勃興を予言する象徴となるということについては、すでに述べた。

参照記事)2013中学受験【33】 工学院 21世紀の産業革命のメイカーズ育成

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☆この丸の内駅舎は、日本の建築家第一号とも言える辰野金吾の設計による。それが蘇ったのである。そしてこの背景にそびえる高層ビル。あの明治維新以降の紆余曲折の激動の時代を乗り越えた日本再建の象徴である。

☆このスクリーンに映し出されているのは、かくして明治維新という日本近代国家の光であり、戦後日本の再建の図柄であるが、しかし、新宿構想ビルのエリアとは違うもう一つの象徴が広がっている。それは天である。これが再び蘇る啓蒙思想の象徴「一般意志2.0」を映し出しているのである。

☆そしてこのことが深く≪私学の系譜≫と結びついていることに想いを馳せる人は、今では少ないだろう。しかし、この辰野金吾は、工学院創立時に大いに貢献した私学人である。また、当時の丸の内駅舎の赤レンガの製造は、渋沢栄一が創設した日本煉瓦製造(株)によるものだし、辰野金吾もこの会社にかかわっていた。

☆何より渋沢栄一は≪私学の系譜≫の第一世代である。さらに渋沢栄一との因縁として、広大なこの丸の内タウンをめぐる都市開発競争のライバルだった岩崎家を登場させる。その当時の三菱の当主は岩崎彌之助、そして彼の信頼を一身に背負っていたのが荘田平五郎。

☆この二人は、渋沢栄一と丸の内タウンの土地争奪で勝利し、赤レンガの都市をつくることにした。その設計の総指揮はジョサイア・コンドルに白羽の矢が立った。辰野金吾はコンドルの最初の弟子の一人である。

☆当時三菱は支店をロンドンに出していたが、その支配人が荘田平五郎である。コンドルが日本政府から見捨てられて、一時帰国をしていたときに、荘田平五郎が世話をした。荘田は福沢諭吉の弟子でもある。

☆さらりと書いたが、ここに日本の運命を決する事態が横たわっていることにお気づきだろうか。同じ赤レンガでも、現在の法務省の建物の一部である赤レンガの建物とは政治権力的な意味が違う。コンドルが彌之助、荘田とともに丸の内の赤レンガ一号館を作っているときに、お雇い外国人であるドイツのエンデとベックマン設計によって建てられた。

☆つまり、この当時、啓蒙思想は捨てられ社会ダーウィニズムに基づいた富国強兵・殖産興業が驀進していたのである。したがって、国家はその偉業と威信を象徴するためにネオ・バロック式の赤レンガの建物をつくったのである。当時の民法典論争は、ドイツ型の法律進化論者の勝利となった。加藤弘之の系譜、つまり≪官学の系譜≫である。

☆コンドルはイギリス啓蒙思想を大事にしていた。井上馨からは、ゴシック様式の建築を頼まれていた。しかし、ウイーンの世紀末に象徴されるアールヌーボ、つまりジャパニズムも包括するモダンタイムを取り入れたために見捨てられたのである。

☆ところが、そこを岩崎彌之助、荘田平五郎は、福沢諭吉のアイデアに共鳴し、そのアイデアを形にできる建築家としてコンドルを迎え入れたのである。

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☆丸の内駅舎と同時並行で復元されたコンドルの赤レンガ一号館は、ゴシックとアールヌーボの統合されたデザインになっている。背景には三菱のビル。その上にはやはり天が広がる。丸の内駅舎のシーンと同じである。写真では天の広がりは写っていないが。

☆渋沢栄一というのは、やはり市場の原理を日本に導入しただけのことはある。法務省の赤レンガも渋沢の煉瓦工場で製造されたものである。もちろん、≪官学の系譜≫の軍門に下ったのではない。逆手にとっただけのことである。

☆これは丸の内タウンの広大な土地を政府から払い下げさせた岩崎彌之助と同じである。だから良きライバルで、共創的競争を闘わせたのである。

☆渋沢栄一の赤レンガの夢は、イギリスのレッチワースを通し田園都市株式会社による東急線・田園都市線沿線都市開発に展開される。

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☆その夢の実現を継承してして東急王国を築いたのが五島慶太である。がしかし、ここでも大事なのは、ジョサイア・コンドルの存在である。レッチワースの発想のきかっけに日本の大名庭園の紹介が欧米に広がったことが挙げられるが、大名庭園の研究をして欧米に広げたのはジョサイア・コンドルである。

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☆ジョサイア・コンドルの日本文化のリサーチは、学者風ではなく、リベラルアーツ流儀で学んだ。当時の風狂人な日本画の巨匠河鍋暁斎の弟子になり、雅号を暁斎から「暁英」と名付けられたぐらいである。コンドルによる暁斎論はなかなかおもしろい。暁斎の生涯を綴った章は、まさに人間成長のあり方をリベラルアーツ流儀で描いている。この章は≪私学の系譜≫の教育法に通じるだろう。

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☆≪私学の系譜≫の教授法については、小泉八雲と夏目漱石の比較において、当時からたいへんな騒ぎをおこしていた。コンドル同様小泉八雲もお雇い外国人で、日本人と結婚し、大名庭園をはじめ日本の文化を日本人以上に理解した。その小泉八雲の英語の講義を継いだのが夏目漱石であるが、その一方通行的講義に、インタラクションの講義を行っていた小泉八雲を返せという抗議が起こったという。その抗議のリーダーは上田敏であった。

☆それにしても、ジョサイア・コンドルという呼び名の定着は、日本の太平洋戦争に邁進した悲劇の記念碑である。“Josiah Conder”は、ジョサイア・コンダーというのが英国読みらしい。コンドルとはドイツ語読みだという。当時の政府・官僚のホスピタリティーのない抑圧的一方的言説のあり方が表現されている。というより、英国やフランスよりドイツに傾斜していった当時の国家体制がゆえにということか。しかし、コンドル自身は、暁英として生きることを決めたのである。その墓は護国寺に今もある。妻くめと眠っている。

☆ところで、岩崎彌之助は渋沢栄一と良きライバルだと紹介したが、渋沢栄一の夢を実現した五島慶太の開発した田園都市線の駅の一つ二子玉川から歩くこと30分、歩くというより途中から登る国分寺崖線の上に岩崎彌之助・小彌太の霊廟がある。今は静嘉堂文庫という美術館になった岩崎家の邸宅の敷地内にある。この国分寺崖線上に実は五島慶太の邸宅もあった。今は大名庭園型の五島美術館として有名。

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☆この国分寺崖線は、政財界人の別邸が多くあったところである。私学人高橋是清の別邸もあった。さてさて、岩崎彌之助・小彌太の霊廟の設計はジョサイア・コンドルということである。

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