2013年への準備 新しい顔をいかにデザインするか
☆この写真は池坊の特別な生け方の「オモト」であるが、ここに見える未来がポイント。今年池坊は550年祭を祝った。その550年前に誕生した境地こそ、日本の未来を語っている。しかし、もちろん、この境地は、生け花を習っているほとんどの弟子たちは忘却している。
☆生け方、素材、そういった論理は大切だが、生け花の概念は忘却されている。概念と原理原則は違う。概念は、むしろ境地である。
☆作庭のモダニズムと言えば、重森三鈴であるが、東福寺の庭園をみたイサムノグチはその影響を受ける。イサムノグチの庭は、パリのユネスコ本部や札幌のモエレ沼にも境地を伝えている。その重森三鈴もまた、庭園の空間と生け花の空間を概念で結びつける。この概念なくしてイサムノグチの普遍性もまたない。
☆オモトは「万年青」と書く。この普遍の境地こそ概念であり、それは庭園として空間の広がりを有する。このオモトと庭園の境地は、19世紀末にアールヌーボで再生し、今年再び東京駅丸の内駅舎に蘇った。
☆125年前の境地が、東大初総理加藤弘之によって、捨て去られてきたが、3・11以降、再び見出された。しかし、政財学官は、気づかないふりをしている。ところが、グローバリゼーションは、それを許さない。
☆NICは、たとえ、中国やインドが経済大国になり、欧米をGDPで追い抜くような時代になっても、超大国には相変わらず欧米、特に米国がその役割を果たしているだろう。もちろん、覇権国家としてではなく、コンセプトを創出し、それを共有するように働きかけるコミュニタリアニズムのリーダーとして。
☆福沢諭吉も概念より実学を重視した。しかし、概念を捨てた≪官学の系譜≫とは違う。捨てはしなかったのだ。しかし、実学を重視したために、それは忘れ去られた。
☆そんな時代に、3・11は壊滅的な衝撃を与えた。官僚近代日本社会をひっくり返し、自然と社会と精神は循環するという概念を再び立ち上げた。
☆哲学とは何か?私とは何か?は概念の問題。科学も芸術も哲学も、概念がなければ横断的につながらない。つまり要素還元主義で終わり、関係総体主義にはならない。21世紀は、この概念を欲している。日本の教育は、命題や知識を概念だと誤解し、関数をたんなる手段という意味での機能に貶めてしまった。関数概念の回復こそ≪私学の系譜≫の概念である。
☆しつこいが、なぜ概念か?それは国家、社会、個人の関係が変わり、今までの歴史的な制約から解放され、新しい歴史的制約が創られる時だからである。このとき、その制約を創るのは、すでに国家や社会や個人が変わろうとしているのだから、それらに準拠することはできない。概念の創造作業のプロセスの中にその準拠を見出す以外には術はない。物象化された基準が氷解するとき、新たな物象化の基準は、概念の創造である。
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