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2013中学受験【47】 女子美中 未来社会を拓くアートな学び

☆女子美術大学付属中学校といえば、築地に縁のある横井玉子が創設しようとした美術学校にまでさかのぼる。つまり、≪私学の系譜≫の第二世代(江原素六よりはやや若く内村鑑三よりはやや年上)。いったい横井玉子の何が受け継がれているというのかと問われるかもしれない。

☆決定的に重要なことは、日本の近代で初めて女性がアートをアカデミックに学ぶ道を拓いたということだ。他の職業同様に、このアートもまた男性が独占していた。創造性を女性の手に渡したということが決定的なことなのである。

Duchamp

☆そして、他の学問と違って、アートが活躍する場所は、非常に限定的であった。今でも「デザイン」というと絵とか彫刻とか広告とかファッションを想起する人が多いだろう。

☆しかし、デザインとは表象ではなく、表象する以前のアイデアなのである。つまり哲学である。要するにアイデアを創ることがデザインであり、それを表象するのは技術である。しかしながら、その技術をアイデアときりはなしたとたん、商品制作技術になる。アイデアとつかず離れずアイデアの形そのものになるのがアートである。

☆すると、ほとんどのものはアートではない。商品である。それでよい。商品はメディアであり、すぐれたメディアは、商品が生まれ出ずる以前のアートやデザインのアイデアを復元する。したがって、商品化されたデザインも、すぐれた因子があれば、それはDe-signの次元にシフトできる。

☆ここでやっと、論理のトートロジーから脱し、感覚の秩序の中に立ち戻れる。知識や論理はトートロジーの退屈さの中で、気晴らしの遊びを手に入れる。そこに経済が生まれる。デザインとアートからかけ離れたトートロジーのルーチン化を見えなくするだけで、トートロジーであることに変わりはない。

☆このトートロジーの世界を逆転させたり転倒させたりするのがDe-signであり、アートなのである。女子美中高のおもしろさは、このコンセプチュアルなアイデアを企画として競い合うチャンスがあるということ。表象は常に商品化された時点で、復元の欲求を、企画を見る仲間に引き起こす。それはトートロジーから脱し、純粋感覚を呼び覚ます燃え上がる原風景である。

☆ルソーならそれを一般意志と呼んだだろうし、ニーチェならそれを永劫回帰と呼んだだろうし、フロイトならリビドーと呼んだだろうし、ユングなら集合無意識と呼んだだろうし、カントならそれを物それ自体と呼んだだろうし、ヘーゲルなら抽象的な感覚と呼んだだろうし、トマス・アキナスならわかると言ってはならないと言っただろう。

☆女子美は中高大連携ができる。女子美大学に進むのなら、高校時代に単位がある程度とれる。米国のデュアル・エンロールメントのAP版である。もしこのときに桐光でも講演した女子美の杉田教授の授業を聞くことができたら、以上のようなことがわかるだろう。

☆あるいは、新潟や瀬戸内にトリエンナーレという芸術で都市を活性化しよという仕掛け人北村フラム教授に出遭えれば、子へびジュニアとしてアクティブに動けるだろう。そしてフクタケ氏に出遭い、学校空間そのもの、教育そのものを変えてしまうアイデアをデザインするかもしれない。

☆現代社会は論理のトートロジーから抜け出たとき未来の扉が開く運命の音を感受するだろう。アートにしか実は未来の扉を開く力はないのである。だからクリエイティブクラスが勃興しようとしているのである。

数学では、きわめて単純な定理から複雑な定理へといくわけですが、すべては最初の定理の中にあるのです。ですから、形而上学はトートロジー、宗教もトートロジー、すべてはトートロジーです。このブラック・コーヒーを除いて。感覚器官のコントロールが働いています。これは真実です。ほかの残りは、いつもトートロジーです。

☆これはデュシャンが理解した19世紀末のウィーンの論理学者たちの話である。つまり横井玉子の活躍していた時代の話である。私は、網膜症になって、ブラック・コーヒーが今までと違う姿になって見えるのに気づいて、このことを理解した。トートロジーを抜け出るには、純粋感覚に寄り添うしかあるまいということを。

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