変わる教育[66] ニューズウィーク 欧米崇拝の日本?
☆ニューズウィークのサイトにこんなコラムが載っている。
「世界=欧米への憧れが日本をダメにする(クォン・ヨンソク)」
2012年11月29日(木)11時55分
なぜ僕らは21世紀のいまだに、こんなにも欧米が大好きなのだろう。ノーベル賞、ブランド物、メジャーリーグ、プレミアリーグ、ハーバード......。僕たちは骨の髄から欧米を「崇拝」している。
☆たしかに、そういう一面は否定できないが、かといって全面的に賛成もできない。
なぜ、僕達はこれほどまでに自虐的に自国や隣国をバカにし、「欧米=世界」に憧れているのだろう。当の欧米人の中には、仏教や儒教文化、日本文化、村上春樹、PSYや韓国映画に熱狂している人もいるというのに。このままでは欧米への憧れが人材流出を促し、日本や韓国を空洞化させて自らを本当に陳腐で亜流な存在にしてしまうかもしれない。
☆オリエンタリズムはたしかに、たしかにあるだろう。それは欧米の世界戦略でもあるかもしれない。しかし、どこか釈然としない。著者自身、次のように両義性でコラムを締めくくっているくらいだし。
だから、iPS細胞騒ぎを起こした森口尚史のような人が出てくるのだ。彼をバカにするのは簡単だが、彼は欧米崇拝病がつくり出した僕らの自画像なのだ。そこでタカアンドトシよ、もう一度ツッ込んでほしい。
「それでも、まだまだ、欧米か!」
☆しかし、この釈然としないベールをはげば、そこは意外とシンプルな解答が横たわっている。実は世界=欧米=アジアであるということなのだ。私たちは、欧米の表面的なところを好んでいるうちは崇拝なのだが、その深層に至っている場合は、ナルシスト的なのである。
☆ルネサンスを見に、アッシジに行くと、そこにはアジアからの始まりに気づく。啓蒙思想やニーチェを読んでいると、そこにアジアという自然状態があるのに気づく。
☆だから、釈然としないままのほうが、片方ではよいのだが、一方で、その釈然としなさを解決する方法を見つけたい。その方法が、ソクラテス→キリスト教→哲学→テクノロジー→破壊的イノベーションという一連に流れる「対話=弁証法」というものである。
☆この「対話=弁証法」は、民主主義を生んだし、近代を生んだ。「対話=弁証法」と似て非なる方法が、本質と属性という二元論。ここに格差の生まれる原因が内包されている。欧米崇拝とは、この本質と属性の罠にはまったときにおこる。しかし、これは欧米自らも常に陥る罠である。
☆だから、つねに欧米の言語は3のリズムを見える化、ロゴス化してきた。しかし、この3のリズムこそ、アジアが響かせてきたリズムである。常に大事なのは間という二元論を退ける響きなのである。
☆それを言語化した歴史的な偉業をなしたのは、ヘーゲルだった。賛否、異論反論は、いろいろあるが、ダイアローグ=対話=弁証法をめぐって、いまだに議論は決着がついていない。永劫回帰であり、これもまたアジア的ではないか。
☆欧米化とは、アジアの言語による写し絵である。その写し絵の精度をめぐって、わたしたちはいろいろ感じているという部分を忘れたくはない。
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