« 2013中学受験【75】 首都圏応募者動向 1月15日 | トップページ | 2013中学受験【77】 首都圏応募者動向 1月16日 »

2013中学受験【76】 佼成学園女子と新島八重

☆佼成学園女子の山内校長は、福島県会津若松市の市長だった。それゆえ、今回のNHKの大河ドラマの会津の主人公新島八重について深い洞察力をもって語っている。3学期の始業式でもその講話は八重のことだった。ここには、八重の生涯に佼成学園女子の生徒の成長物語が重なると同時に、リセット街道まっしぐらの日本経済に対する未来の光を発見するヒントにもなっているので、そのまま引用してご紹介しよう。

Koseigirls

「私の出身地である福島県の会津若松市は、150年前に日本国内を二分するような戦争があった街です。会津藩の時代に、薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)の両藩を中心とする政府とのぶつかりあいから、戊辰戦争が勃発しました。会津藩は鶴ヶ城に立てこもり、最後まで戦いましたけれども、最終的には敗れ去りました。この鶴ヶ城の中に、皆さんと同じような年頃の山本八重、後の新島八重という女性がいました。その新島八重を主人公にしたNHKの大河ドラマが始まったところです。この時代の女性としては、津田塾大学を作った津田梅子、大山捨松といった女性がいます。
今なぜ、新島八重という女性に光が当たるのか。新島八重は、江戸幕末の動乱期から明治、大正、昭和と時代を前向きに生きた女性です。会津藩の武士の娘として生まれ、兄の山本覚馬から砲術の指南を受け、戊辰戦争においては男性と同じように狙撃兵として戦い、敗戦ののちには覚馬を頼って京都に移住し、明治時代にはいち早く英語を学び、新島襄と結婚しています。そして同志社大学の前身となる学校を作り上げ、育て、運営をしてきた女性です。関西の名門、同志社大学の礎となった人物の一人であり、新島襄が亡くなった後には、日本赤十字社の中心人物となり、社会福祉に貢献しました。日清日露戦争においては、戦地に赴き、傷病兵を看病した女性でもあります。
なぜ新島八重はこのような生き方ができたか。武家の娘、明治時代の新しい女性、従軍看護師として生きてきた女性、ましてや当時は男尊女卑と言われる封建主義の時代です。ひとつ言えるのは、「私はこうする」という明確な意思を持って生きたからこそ、このようなことができたのでしょう。
新島八重は、「美徳以為飾(美徳を以て飾りと為す)という言葉を残しています。皆さんも女性ですから、将来美しく着飾ることは大切なことです。しかしそれ以上に大切なこととして八重が教えているのが、美徳を以て飾りと為す。美徳ですから、善い行いをすること。それによって女性はさらに光り輝くと、新島八重は自らの人生を振り返って言い残しています。
中学生の皆さんは、高校に行くとどのコースに進むか決断をしなければならない時が来ます。高校生は、大学や学部学科を選ぶ際に、どこに行くか判断しなければなりません。
ましてや、就職活動をする際にも、社会に出て活動する際にも、新島八重と同じように「私はこうする」という明確な気持ちが求められる時が来ます。
皆さんが、右に行くか左に行くか真ん中に行くか悩んだときに、一人一人が問われることは、「私はこうする」という明確な意思を自分の中に持っているかどうか、これが最終場面で問われます。ぜひ、自分の心持の中に、私はこうするという明確な意思を持てるようになって欲しいと思います。」

☆今の日本の状況よりも、むしろ厳しい封建時代。武家の娘、明治時代の新しい女性、従軍看護師として新しい人に常に挑戦して生き抜いた八重。この八重の精神はいかにして育つのか。

☆そのヒントは佼成学園女子にあると山内校長は語っていると思う。ニュージーランドの留学や交流は、他校には真似できないほどの太い絆で結びついている先進的な学校だし、英語教育にももちろん力をいれ、大学進学実績もよい。

☆しかし、何より、人間関係を構築できるリーダーシップやメンター力を部活や行事で育んでいける教育ベースがしかっりある。このベースのうえに、「私はこうする」という明確な意思を内面に根付かせるのである。

|

« 2013中学受験【75】 首都圏応募者動向 1月15日 | トップページ | 2013中学受験【77】 首都圏応募者動向 1月16日 »

中学入試」カテゴリの記事