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なぜ教育は罰を与えるのか

☆日本経済新聞(2013年1月19日)によると、

愛知県蒲郡市は19日、市立中学校の男性教諭(23)が理科の授業で実験に失敗した罰として、生徒2人に薄めた塩酸を飲ませていたと発表した。生徒は市販の塩酸を水で100倍に薄めた液体を15ミリリットル飲むなどしたが、現在のところ健康被害は確認されていない。・・・・・・・1月18日に別の学年の生徒の保護者から連絡があり発覚した。校長らは19日までに、生徒2人の自宅を訪れ、謝罪。教諭は市教委に対し「極めて薄くしたので体に影響はないと捉えていた」と話しているという。

☆この教員がおかしいということで済ますことはできるが、なぜこのような教員が続々紙上を騒がせるのか?それは学習指導要領のコンセプトが明瞭に表現されていないために起こるのであると言える。つまりは文科省の戦略が効を奏しているということだろう。

☆学習指導要領は読んでも全体が俯瞰できない。結局何を教えるかという点はわかってもどうしてこういう構造になっているのかわらない。文科省はその基準を持っているが明らかにしないで、情報優位なポジショニングを確保する。それゆえ、上から目線で、それがわからないのは能力がないからだと教師の資質向上を高めなければと言える構造になっているのだ。

☆だから真面目な教員は、はいわかりましたと結果を出そうとする。そして結果を出すのに手段を選ばなくなる。手っ取り早いのが「アメとムチ」の論理である。それを使っているだけなのだ。

☆しかし、それは学習指導要領的には、前慣習段階の低次元でのモラル育成段階で、中学では慣習段階を活用しなければならないことになっている。しかし、たいていの公立の教師は、そんなことは知らされていない。多くの私立学校の場合、建学の精神そのものが、さらにその慣習段階を乗り越えた脱慣習段階のものであるから、そこを回避しやすい構造になっている。

☆ただし、私立学校の教員の教員免許も公立学校の教師と同じコースで履修することになっているから、公立教師と同じセンスのまま学校生活を送ってしまう場合がある。公立出身の校長が私学の校長になったとき、一瞬恐怖がよぎるが、教頭がしっかり踏ん張る私立学校も多く、その難を回避できるリスクマネジメントができているところが多いだろう。

☆ともあれ、学習指導要領は構成主義的デザインになっている。その背景には、学びはブルーム的なタキソノミー、モラルはコールバーグの道徳発達論が存在する。それがシラバスやカリキュラムの背景にある。この図全体を俯瞰しないために、学びは知識の次元で終わり、モラルは前慣習段階のアメとムチの次元で終わってしまうのだ。

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☆このブログで紹介している「新しい評価研究会」や「21会(21世紀型教育を創る学校)」では、このコンセプトを見える化する議論を行っている。そして最終的には、これは20世紀型教育の範疇表であることが確認されるだろう。なぜなら、学びが知識から始まる必要がないのが21世紀型教育だし、モラルがアメとムチから始まる必要がないのが、21世紀型教育だからである。21世紀型教育は対話から始まり、対話に終わる。

☆それは福沢諭吉の夢であり、江原素六の信念であり、新島襄のビジョンであり、矢島楫子のミッションだった。それを継承したのが、嘉悦孝であり、棚橋絢であり、鳩山春子であり、横井玉子であり、高橋是清であり、山田顕義であり、内村鑑三であり、新渡戸稲造であり、石川角次郎であり、辰野金吾であり、南原繁であり、矢内原忠雄であった。つまり≪私学の系譜≫である。

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