東洋経済 危ない特集「ヤンキー消費をつかまえろ」
☆東洋経済(2013.3.2)の特集「ヤンキー消費をつかまえろ」は、アベノミクスのアゲアゲ・ノリノリを支える新しい消費カテゴリーを造り上げている。危ないなぁ。
☆手法は外延から内包へという記号論の軸を逆手にとっているから、おそらく大手広告代理店の戦略だろうが。
☆消費意欲が高く、上昇志向も高い団塊ジュニアが、家族をもち、消費が育児や教育に偏るから、消費市場から退出しつつある。そこで新しい消費ターゲットをということだろうが、単純に次の世代を外延的に名づけただけでは、少子化であるから人口が足りない。
☆だから内包的な共通志向を見出して、世代全般に広げるカテゴリーはないかと。そこで、3・11以降、真の絆とは何か、共に生きるとは何かを思考/試行している団塊ジュニアの社会学者・哲学者・心理学者に目を付けたのである。
☆本当は東浩紀さんや世代はもうちょっと前だが、宮台真司さんを登場させたかったのだろうが、明らかに広告代理店アンチの色が濃いので、今回は、特集の中で、ヤンキー消費を批判する側として斎藤環さんを登場させているあたりは、実に巧みだ。
☆広告代理店や編集者がかれらの理論に着目したのは、新保守層の消費であるヤンキー消費を根拠づけられるからだ。
☆たとえば斎藤環さんは、ヤンキーを反知性主義で現実志向なのだと言う。要するに能書きはいらないという団塊の世代にもあったノリだ。そうなのだ!これなら新保守層を世代を越境してカテゴライズできると。
☆東浩紀さんや宮台真司さん、斉藤環さんらが、ヤンキー文化の背景に何か本質を見ようとしているのに対し、ある意味3・11の絆を逆利用する災害資本主義の手口を巧みに活用して、彼らの言うようにヤンキー文化が日本のカルチャーを支配していると喧伝するわけだ。
☆学者が批判するだけあって、時代はヤンキーなのだと。真正ヤンキーではないけど、エリート街道を我慢して邁進してきた丸の内族に隠れヤンキーがいるし、女性にも広い世代にわたってMARTを読んでいる女性がたくさんいるからこれもMART族としてヤンキーのバリエーションにしてしまおう。それから、上昇志向はないが消費意欲はある内向き志向の若者を地元族にしよう。東北支援のベクトルをそこに持っていこうという戦略。
☆トヨタのピンククラウン「権力より愛だね」は、隠れヤンキーをターゲットにしているのだと。消費者も選挙する側もされる側もみなヤンキー特性を持っている、それでよいのかと斎藤環さんは言うけれど、それでいいのだと。
☆そしてふとこのヤンキー社会を別の言葉で置き換えてみる。ヤンキー社会=学校化社会。あるいはヤンキー社会=心理学化社会。
☆この置き換えが成り立ってしまう現代日本社会に対し、そうじゃないだろうと挑んでいるのが斎藤環さんたちなのだ。体罰、いじめ、自殺などの昨今の事件の背景には、反知性主義で現実志向、ムラ意識が絆だと思っているヤンキー文化があるのだと。アゲアゲノリノリ、イケイケドンドンの響きで歌ったり踊ったり・・・。
☆ここまでくれば、このヤンキー文化生成装置が≪官学の系譜≫で、反ヤンキー文化が≪私学の系譜≫であると気づくのは、そう難しくない。≪官学の系譜≫は、天賦人権説を廃棄して、優勝劣敗を標榜するところから始まる。斎藤環さんは、こう語っている。
ヤンキーの人権意識は自己責任。「義務を果たしていないやつには権利を与えるな」というもの。万人が一定の人権を持っているという天賦人権説に照らせば、生活保護は請求があれば支給するのが当たり前です。それがいつの間にか本当に困っていて、頑張ったけれどダメだった人にしかあげることが許されないようなことになっている。そこにあるのはヤンキームラ的発想にほかならない。集団に寄与していない人間には集団も利益を与えないという村八分的論理です。
☆もちろん、この部分はあまりに雑駁で、議論しなければならない点は多々あるが、多数派と少数派、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫の差異の雰囲気はつかめるだろう。
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