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変わるか教育[04] 白鴎と東大の入試問題

☆今年の東大の現代文の問題は、両方(文系は2題出題される)とも、フランス系の言語学あるいは記号論のテキストが出題された。

☆1つめの現代文は、詩の翻訳について。原文と母語の一致とズレの調和、をどう解決するか、またズレが生み出す創造的な機能をどうとらえるかと。その調和は要するに異文化同士の媒介項として翻訳があるから、落とし穴もあるけれど、対話によって互いに文化の違いの理解を深められるという感じの文章。それと理解を深めるだけではなく新たな文体や表現や価値の創造を共有できるということも。

☆もう一つの現代文は、知覚と認識について。これまた、知覚と認識の一致とズレの調和をどう解決するかと、気づかないうちにそのズレが生み出すものの恐怖について。

☆スッキリ二元論的な文章かというと、知覚とは何かとか認識とは何かという内包性を開いていくから、少し厄介。一つ目の原文と翻訳もそういう輻輳性があるから、やはり少し厄介であるが、その厄介さにこだわらずに、わりきって解答していけばよいので問題はない。むしろ、この手の文章を大学受験勉強というチャンスで学ぶのは、なんとIBのTOKのカリキュラムそのものであるのだが・・・という驚き。

☆一方都立中高一貫校である白鴎の適性検査Ⅱの「作文」の問題にも驚愕。同校のサイトでは平成23年度のものが公開されているが、文章を読んで記述式の小問を解答する。3つめの小問は200字論述。作文というより論述問題。形式は東大の現代文の入試問題に類似。

☆そればかりか、提示されたテキストもソシュールの言語学について書かれたエッセイから。言葉と意味の恣意性原理から、言葉の意味の歴史的変異について、体験を交えながら解答していく問題。

☆ここでも言葉と意味の一致とズレの話。もちろん、シニフェ、シニフィアンという輻輳性が背景にあるから、そういう言葉が登場してこなくても、これも小学校6年生にとっては少々厄介なテキスト。もしこれが白鴎の問題ではなく、東大の問題といっても、今回は少し読み易いテキストだったねでスルーしてしまうかもしれない。

☆桜修館といい、白鴎といい、さりげなくIBや東大の問題を意識していることは明らかである。適性検査か学力テストか、ときどき問題になっているが、それよりもこういう問題を難しいから妥当性がないではなく、小学生にもわかるように思考問題のエッセンスをとらえ、その思考問題を東大の問題のエッセンスと共有させるという学習観は、ジェローム・ブルーナーの教育の過程の発想である。

☆つまり、科学の最前線を幼児にもわかるようにするにはいかにして可能か?それは知の構造モデルをシンプルに提示することであるという発想。これは科学コミュニケーションの発想とも同義。

☆はたして、そんなことを入試問題の作成者は考えているのだろうか?と言われるかもしれない。1957年のスプートニクショック前後の学習指導要領は、完全にブルームの影響にあった。その後徐々にゆとり教育への道が開かれていくのだが、脱ゆとり路線で、再びブルーム的発想が復活するということは推測可能。

☆でも、今の学習指導要領は構成主義的学習観と言われているじゃないかと言われるかもしれない。ピアジェ、ブルーム、ヴィゴツキー、シーモア・パパートは、何を媒介項=ツールにするかは違うが、構成主義的学習観の系譜である。もちろん、デューイも忘れてはならない。

☆そして、ソシュールやロラン・バルトも、結局は構成主義的なのである。そのルーツは、もちろん、残念ながらJ.J.ルソーの「言語起源論」。要素還元主義と関係総体主義の両方の顔をもった思想家に行きついてしまう。ハイデガーが対決を回避し続けた思想家。。。

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