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2015年教育予想図【02】 なぜ東大がグローバル人材育成なのか?

☆東大をはじめとする大学がなぜグローバル人材育成をするのか?それは現状の日本の人材の国家利益を優先する構造的パワーが他国に比べて不足してきたからという消極的理由がその回答。

☆これは明治国家が成立するときとあまり発想が変わらない。軍事力、経済力が不足しているから、富国強兵、殖産興業。今度は金融をはじめとする知識産業が、グローバルにうまくリンクできていないから、そのリンクを広め、リンクスという構造内で覇権を握ろうという流れ。

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☆競争の次元が違うだけで、ビジョンは優勝劣敗である。しかし、ビジョンを変えようというのが、普遍的なグローバル人材の育成。

☆1898年、優勝劣敗思想が、東大から流れていた時代に、新渡戸稲造は「農業本論」を書き上げた。歴史の波に翻弄されている部分もあるが、アイデアそのものは優勝劣敗とは真逆。

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☆専門分化する学問を、総合的にとらえようとしていたところは、今日の東大の農学部と発想を同じくしている。農学は生命科学として総合的な学問であると東大農学部は考えている。新渡戸稲造は、先見の明ありである。

☆しかし、それだけでは、優勝劣敗思想の強化になるだけである。おもしろいのは、新渡戸は、学としての農学以外に、自然や社会と人間の相互関係の中で「農」を捉えるというアイデアを推進していたことである。

☆「農」と「農学」というのは、第二次世界大戦に利用されてしまったハイデガー流儀に対比すれば、「現存在」と「存在」。学としての「存在」に憧れてしまったために、優生学的優勝劣敗の醜悪さに気づかなかったのかもしれない。

☆新渡戸稲造は、「農」のアンビバレンツもすでに図の中に埋め込んでいる。学としての「農学」の必要性とエコロジーとしての「農」の両方をリンクさせようとしていたにもかかわらず、「農」のとらえにくさを位置づけている。この未規定性こそ≪私学の系譜≫である。この図を見ないで、次の図をみると、あたかも「農」と「農学」は予定調和のように親和性があるが、必ずしもそうではないという前提を確認したうえで、眺める必要性があるだろう。

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☆この「農」と「農学」、「現存在」と「存在」の両面性と未規定性こそ普遍的グローバル人材の素養であるが、現在の東大をはじめとする政財官学が求めているグローバル人材は、「農」や「教育」も利益を生み出す生産業の領域に埋め込もうとしている。

☆もちろん、「農」や「教育」は、市場とは無縁であるという話は論外である。そうではなくて、普遍的グローバル人材というのは、「農」や「教育」のみならず、あらゆる生活活動としての経済は、未規定性を有していて、そこを対話によって広め深めて構造的パワーを新たに形成するコミュニケーション能力を持っている人材のことをいう。

☆要素還元型構造的パワーvs.関係創出型構造的パワーということ。前者が≪官学の系譜≫の発想で、後者が≪私学の系譜≫の発想であることは、新渡戸稲造が、明治国家誕生の時にすでに証明しているのである。新渡戸稲造自身、すでに普遍的グローバル人材として、太平洋戦争を回避しようと奔走したのである。

☆しかし、当時は関係性に着目する哲学は、19世紀末から興っていたのだが、現実が要素還元主義に満ちていた。要素還元型構造的パワーは、結局むき出しのパワーだったのである。

☆今は、要素還元型構造も多少構造化がすすんでいる。むき出しの権力を発動することはなるべく抑えようとしている。しかし、まだまだ力への意志、快楽への意志が優先し、意味への意志による構造化が広がっているわけではない。

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