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学びは人間の条件 20世紀型教育はそれを阻害していたかも

21会honmanoteで、久保田賢一教授の4つの学びのスタイルを紹介した。そのあと、教授の図を自分で描いて眺めてみてしみじみ思った。20世紀型教育は人間存在を喪失するきっかけを作っていたかもしれないと。

Kubota

☆③の総合学習なんか大学合格に役に立たないというコメントをよく耳にするが、それは、これだけの学びのチャンスがあるのに、①の20世紀型の授業の中に閉じ込めてしまうことを言っているということなのだ。

☆グローバリゼーションとは、世界のあふれる情報や人間がぴたっとくっついてくることを意味しているのだが、だからこそ何が起こるかわからない。サバイブするには、既存の知識や用意された素材だけでは、クリアできない。

☆それなのに、すべて用意周到に準備された教室空間で、椅子取りゲームをさせているような教育では、そしてそれを大学進学の資格とするのなら、グローバルな時代を共に生きていくことなどできない。

☆ある巨大な何ものかにつき従って生きていくことしかできない。しかし、人類の歴史は、そのような何ものかと闘い続けてきた歴史である。

☆この闘争から離脱することは、人間存在の危機を意味する。

☆根本的な話過ぎて、戸惑う方もいるかもしれない。しかし、自分の子どもを、メタファで言えば、諸富教授ではないが、強制収容所に入れてよいのかということである。

☆面倒見がよいというのが、目標もリソースも教師がすべて用意するということを意味するのなら、それは要注意を。この高感度なアンテナこそが、文科省の学習指導要領に盛り込まれたクリティカルシンキングのはずであるが、なんともパラドキシカルではある。

☆いずれにしても、大学進学準備を前面に出す進学重点指導校に類する学校は、果たしてそれでよいのだろうか。違憲というよりほかあるまい。人間の存在の尊厳を傷つけるからである。

☆とはいえ、書を捨てて外に出よう!とみんなが寺山修司になってもどうしたものかではある。

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