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第7回新評価研究会 in 聖学院 変わるべきは学校ではなく社会♪

☆昨日12日、聖学院で第7回新評価研究会が開催。私立学校の先生、教育産業、コンサルタント、NPOの方などが参加して、大いに盛り上がった。

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☆参加したメンバーの共通点は、21世紀型スキルを駆使しながらプロジェクト型ラーニング(PBL)やアクティブラーニング(AL)を自らデザインしている実践者。

☆そこで議論が盛り上がるのには理由がある。それは20世紀型教育のように、知識の定着度をみる評価ではなく、生徒が自らの目標を自ら見出し、ワクワクしながら、情熱をもって、その目標をコラボしながらクリアしていくそのプロセスで生じる創造活動というBeingをいかに評価できるのかということを議論しているからである。

①生徒自ら目標を見出す

②ワクワクしながら

③情熱をもって

④コラボしながら

⑤クリアしていく

⑥①から⑤の過程を通して創造活動=Beingが生まれる

⑦創造活動の評価はいかにして可能か

☆という7つの論点がある。これは立場によって、微妙によって違う。だから意気投合しているようで、あれどこが違うのだろう。どこどこどこ・・・となるから盛り上がる。基本的にPBLやALは認め合っている。それなのに違うのだ。微妙な差異を探求するプロセスは盛り上がる。

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☆これがもし20世紀型教育か21世紀型教育かというところからスタートすると盛り上がるのではなく、罵倒大会かだんまりにらめっこ状態になるかどちらかだろう。

☆この会に参加しているメンバーは、企業人にしろ、教育人にしろ、社会起業家にしろ、とくに最近急激なる金融という時間泥棒が横行している資本主義の中で、いかにして時間泥棒の被害に合わずに、スタッフや教師、生徒の創造的活動の時間を確保できるのかに関心がある。

☆資本主義や市場の原理を認めたうえで、そこで時間泥棒を生み出さないようにするにはどうしたらよいのかという想いで、会社において破壊的創造を協働したり、学校内でイノベーション教育をデザインしたり、社会でイノベーションを生み出そうとしている。

☆新しい価値を生み出そうとしているわけだ。

☆時間泥棒とは、ミヒャエル・エンデの「モモ」で出てくるのだが、エンデの背景には、利子を増殖させる貨幣経済ではなく、適正利益を得られる市場社会のビジョンを描いたシルビオ・ゲゼルの思想がある。

☆しかし、さらに、ゲゼルの発想は13世紀ヨーロッパ都市の経済デザインの大激論にルーツはある。もっとも、ゲゼル自身がそのことを知っていたかどうかは、わからないが、ゲゼル自身もアルゼンチンに移民して新しい都市経済の中でビジネスをして、そこで生まれるジレンマに直面したわけで、中世都市や自由都市と共通する問題意識をもったのであろう。もちろん、それは東北大震災の復興のための都市づくりや今回の金井先生の「ローカル・リコール」という地元デザインプログラムにも共通しているテーマ。

☆その共通問題とは、商品交換の基準の正当性をめぐる問題。交換基準は、市場の原理か都市権力者(メディチ家!など)が規定するのか。究極のところ貨幣の正当性の評価をどうするのかということ。市民と権力の関係の見える化が貨幣の存在だからである。

☆シュンペータ―も、中世都市経済に資本主義の萌芽を見出し、都市社会のイノベーションに、創造的破壊の着想を得たに違いない。このイノベーションによる価値創造は、金融による価値創造とはまた違う。

☆つまり、時間泥棒ではないないわけである。だから、学校改革だとか教育改革だとかいったとき、この時間泥棒社会に見合った学校や教育をということになったのでは、本末転倒であるという話に、こちらは場を移して盛り上がった。

☆学校や教育も変わらなければいけないけれど、その前にイノベーションによって価値を生む社会を志向するのか、時間泥棒によって価値を生む社会を志向するのか、決める必要がある。

☆イノベーション社会を志向するのであれば、21世紀型教育を行おうとする学校はそのままでよい。受験準備という学習指導要領にない教育を第一義的に行っている学校は変わらなければならない。

☆時間泥棒社会を志向するのであれば、20世紀型教育を行う学校は変わる必要はない。

☆何を基準に変わる変わらないというのか、そこを議論しようではないかという盛り上がり方は、新評価研究会にふさわしい姿だし、そこに本質的テーマが横たわっていた。

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