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本当の教育イノベーションに遭遇するとき

☆ICTやタブレットを生徒全員が活用する学校。教育イノベーションが起こっている!のは確かだが、最高なわけではない。現時点で物珍しいということだろう。

☆やがては当たり前になる。そのとき、みな公平に平等な思考力をもち、教育格差はなくなるのだろうか?

Kubotalearnig

☆なくなるかもしれないし、さらに格差が広がるかもしれない。だから、教育イノベーションは、本当の教育イノベーションとそうでないのがある。そうでない教育イノベーションはまがい物であると言いたいのではない。

☆上記表は、久保田賢一教授の新しい学びと従来型の学びの比較表であるが、たしかにICTやタブレットの導入は、新しい学びへシフトする大きな役割を担っている。その点は大いに評価に値する。

☆しかし、これは20世紀型教育から21世紀型教育にシフトした最終的到達点ではない。その過渡的な段階に過ぎない。20.5型とでも言おうか。

☆過渡的な段階というのは、20世紀型教育の中でエスタブリッシュな教育が行われてきた場では、すでに行われてきたことだからである。それは国際バカロレア(IB)のディプロマと帰国生の大学入試の準備段階で行われてきた。

☆このIBのディプロマや帰国生の大学入試の準備段階で養われる能力や学びの方法は、久保田教授の描いた比較表の右側、つまり「新しい能力」や「つながる学び」そのものである。

☆したがって、今までエスタブリッシュの領域だった学びを、例によってICTやソーシャルメディアが革命を起こし、市民の手に渡したということになるのだろう。

☆しかし、さらにこのぐらいの学びは、アジアの他の新興国では、すでに始まっている。おそらく、日本の子どもたちは彼らとディスカッションすらできないだろう。

☆なぜなら、彼らの中には、日本の子どもたちよりも英語を使える子どもたちが多いのだ。ICTという人工言語の前に、英語という戦略言語を習得している。日本の子どもたちは、その両方において教育後進国なのである。

☆だから、ICTやタブレットを活用しているからと言って、なんだというのか、グローバルにはそれも一つの方法だよね程度のレベルではないか。そういうわけで、上記の表で左から右にシフトすることは、21世紀型教育へ向けての過渡的段階20,5型教育なのである。

☆では、英語とICTでOKなのかというと、それもまた大きな教育イノベーションの活動に違いがないが、本当の教育イノベーションではない。

☆実は、英語とICTだけでは、久保田教授の比較表で、左から右にシフトすることさえも、簡単ではないのである。

☆たとえば、上記の表に「教科書にある標準的な知識」とあるが、この知識とは何か?この知識の構造は何か?知識とは言葉と意味の二項の相関でよいのか?そう問い返す力がなければ、「教科書の枠を超えた多様な知識にアクセス」しても新たな知識量が増えるだけで、何もおもしろいことは起きないのである。つまり化学反応はおきないのである。

☆「教科ごとに分断された知識」といっても、なぜ分断されるのか?別に分断しようと意図的に教科書がつくられているのではない。知識の構造とは何かが問い返されないから、結果的に分断されているだけで、ICTによって分断を解決する「現実問題に対処する総合的な知識」が果たして生まれるかどうか甚だ疑問である。

☆おそらくネットでハイパーリンクするから、雰囲気は総合的な知識を操作しているような感じになるだろう。そこをきちんとICT業界が知恵を出せるかどうかにかかっているが、期待ができるのだろうか。

☆今のところ、ICTやタブレットをしまくっている教師を広告塔にして、ビジネスを広げようとしているようにみえる。もしもそういう教師がいたとするならば、誰が見ても、そんな教師は現場で生徒に対面して生徒1人ひとりの価値を共に見いだしている時間などあるはずがないとすぐにわかってしまうのではないか。

☆これは、ICTやタブレットを導入する目的とは真逆の方向に進んでいるとしかいえない。ICTやタブレットを活用するのは、生徒1人ひとりのニーズ=発達の最近接領域にアクセスするためというのが本来の目的。ここに対する見識をもったICT業界があったら、21会校とともに新しいビジネスを広めていきたいものだ。

☆新しいビジネスとは、もちろん21世紀型経済システムをパラレルに創っていくということでもある。

☆今あるNPO関連の教育活動のたいていは、20世紀型教育の延長で行っているから、教室から世界を変えるというのは、一足飛びには行かない。欧米の世界を変える教育や教室というビジョンは、実はその背景に経済システムそのものに対するアイデアも持っている。

☆たいていの日本の教育産業やNPOの残念なところは、文科省の枠組みを強化することしかしていないということだ。特に受験産業の多くは、文科省のつくり出した入試制度に便乗しているわけだから、「学習者自身が知識を構築」なんてことは実ははなから頭にない。

☆だから、久保田教授をはじめ、ICTと教育を考えている方々は、上記のようなわかりやすい表をいつも提示するのだけれど、左から右にシフトする方法論が脆弱すぎるのである。

☆英語とICTは、少なくとも、たしかに、左から右にシフトする契機ではある。あるいは環境ではある。しかし、まだまだ確率は低い。

☆だから、ICTで右にシフトしているつもりでも、いつの間にか便宜上つかっているだけで、進路ということになると途端に大学進学受験準備全開となるのである。結局生徒集めのためのPRとしてICTとタブレットということになってしまうのは、残念な結末である。

☆生徒が集まればよいじゃないかということであるが、たしかにそれはそれでよい。そこを選択する保護者もそんことは、はなから承知だろうから何も言うことはない。

☆ただ、私が気になるのは、英語とICTともう一つ目に見えない本物教育がある学校のほうが、同じ難関大学とか海外大学に進むにしても、自分の子どもの価値を豊かにするのではないかということだけなのだ。

☆子どもの価値を、20世紀型指標で、他人に決められるというのが日本の社会だ。それでよいはずがない。欧米だっていろいろ問題もあるけれど、少なくとも自分の価値は自分が決めるのである。自律とか自立とか標榜する教育は日本では大変多い。しかし、たいがい偏差値という他者評価に右顧左眄し右往左往しているじゃないか。

☆そんな社会じゃあ、パワハラがあるのも当たり前だ、体罰があるのも当たり前だ。鬱屈するのも当たり前だ。自分の価値を自分で決められない社会の論理にすぎないのだから。

☆新しい学びを目指して、ハードはばっちりそろえ、それを活用して本当の教育イノベーションを起こし、成功している学校もたくさんみているが、途中で本当の教育イノベーションを実行してきたコアであるソフトパワーを外されて、元の木阿弥というところもたくさん見ている。

☆学校選択は歴史とリーダーの資質と現場に真摯な教師がどのくらいいるのか見極めることが重要である。連休が終わると、いよいよ来春受験する学校選択が本格的に動き出す。

☆本当の教育イノベーションを生み出している「学校や教育モデル」と今までの「学校の運命を決定づけてきたソフトパワーやリーダーシップ」とは何かを知りたい方は、「第1回21会カンファレンス」に参加してみてはいかがだろうか。

☆現在、本当の教育イノベーションを志ざしている学校、塾、教育関連カンパニー、ICT関連カンパニー、国際教育関連カンパニー、そして大学生の方々などが参加申込みしている。小さいけれど確かな活動が、やがてトルネードを生み出すことだろう。

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