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教育の一元化 「図書館戦争」のリアルバージョンか?

☆日経新聞(2013年4月25日)によると、下村文科相は、「教育長に教育行政の決定権を持たせ、教育委員会はチェックや基本方針の審議をする場にするとした。自治体に教育行政の法令違反などがあった場合、国が是正を指示しやすくするよう制度を改正することも求めた。」という教育の一元化に邁進いているという。

☆教育の問題は、現場で起こっている。生徒1人ひとりが、好奇心をもち、多様な興味と関心をもっているのに、一元化された知識しか押しつけられていない状況こそが問題なのである。この抑圧状況が日常化しているから、子どもたちの心身が炸裂しているのだ。

☆何を言っているのか、大学入試があるのだから、しかたがないではないか?と言われるかもしれない。であるならば、大学入試制度をさっさと変えればよいのではないか。

☆かりに自治体に教育行政の法令違反などがあったら、国が是正介入できるようになったとする。そうすると都立高校の進学重点指導校などという大学受験準備に偏った教育は、学習指導要領に反するから是正するということになるはず。

☆本当にそうなるならば、おもしろいが、教育は1人ひとりの人間の存在の問題であり、1人ひとりの生活の問題である。公教育とは集団教育という意味ではない。独りひとりが自立して個性の可能性を発揮できる状況を阻害する要因をコモンセンスにしたがって廃棄できる知恵の集積である。

☆そこになぜ権力が介入するのか。権力こそがそもそもコモンセンスにしたがってチェックされなければならない存在である。それなのにチェック機構を指導する立場に立つという手続きこそ違法であろう。

☆それとも、教育に権力が介入することを違憲とする憲法を改正してしまえばよいから、強硬に突破しようということか。

☆下村文科相の教育改革への想いはひとそれぞれの価値観であり、尊重するが、その実現の方法が、現行憲法以上に近代民主主義の精神の法に反するのではないか。

☆有識者が、権力とどこまで闘えるのか。「図書館戦争」はどうやら映画だけの物語ではなくなってきた。

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