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富士見丘学園 オー先生とくま先生の哲学教室 中学生のTOK

☆富士見丘学園の新サタデープログラムに、いきなり登場したのが「中学生のための哲学教室」。しかも、オー先生こと大島教頭とくま先生こと桜丘の品田副校長によるコラボ形式。21会(21世紀型教育を創る会)の学習理論部会で出会って、挑戦することになったということである。

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☆第1回のテーマは「わたしは誰?」。サタデープログラムは、多様な選択講座から自主的に意思決定して参加する講座群。18人の中学生が参加。しかも、3学年混合編成である。

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☆学びの空間は国際バカロレアのTOK(Theory of Knowlege:哲学授業)さながらの座り方。コミュニケーションがしやすい学びの空間づくりがデザインされているからだが、さらに友人同士が隣り合わないように座ることで、集中力を生み出す計算もされている。もっとも、生徒たちは、みんな知り合いだし仲が良いのですけれどと反応。笑い声がでて、すぐにうちとけ、すーっと対話状態にはいっていった。

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☆桜丘の品田副校長も「くま」というネームで登場。教育に権力や権威を持ち込まないファシリテーターとしての役割を発揮するため。生徒たちも「かわいい」とすぐになじんでいた。

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☆哲学授業は、PIL(Peer Instrution Lecture)型で、教師は説明をしない。問いを投げたら、隣同士話し合いながら気づきあっていくというスタイル。ハーバード大学やMITでよく使われる手法。一生懸命講義をしても5%の生徒しか十分に理解しないが、対話や教え合うことで90%の生徒が理解するといわれているぐらいだ。

☆問いを投げると言っても、ただいきなり考えなさいではない。動画をこまめにみせていく。今回は、イソップ童話から「犬と肉」の英語バージョンのアニメを見て、内容理解もそしてそれを通して何がわかるのかについても、生徒同士が対話していく。

☆骨付きの肉をくわえた犬が、川面に写っている自分の姿を他の犬だと思い、威嚇してもう一つゲットしようとして吠えたら、加えていた肉が川に落ちてしまったという童話。なんだ欲張ってはいけないという教訓道徳の話かと思ってはいけない。

☆さらに猫が鏡をみて威嚇している映像が流れる。さらにサル。しかしチンパンジーが登場するところから気配が変わる。そして人間のケース。生まれてから18ヶ月過ぎるまでと過ぎた後で、大きな変化が現れる。

☆次々と英語バージョンの動画が流れては、対話をしていく。

☆おもしろいのは、動画の内容をいったん理解しては、実は理解することが目的ではなく、それを通して何に気づくのかということが目的であるとハッとする瞬間。

☆だから、内容を理解している「自分①」をモニターしている「自分②」の存在が認識できる動物とそうでない動物、人間でも年齢によって違うということなどを語り合っているのである。

☆20世紀型授業は、「自分①」が重要であるが、21世紀型教育は「自分①」と「自分②」の関係態に着目しているのである。こういう過程をメタ認知といい、メタ認知の思考力が育つ学習のことを「構成主義的学習」という。

☆今回の文科省の学習指導要領には「構成主義的学習観」が埋め込まれているが、現場では理解されていないとのことである。

☆ところが、富士見丘や桜丘では、そんなことは当たり前のように行われているのだ。実は「くま先生」は空気のような存在としてこの哲学授業に存在しているのだが、そのことがかえって自然と哲学授業をモニターできるのである。つまり、この哲学授業の「自分①」にあたるのは「オー先生」。「自分②」にあたるのが「くま先生」なのである。

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☆ウム、実におそろしい事実を突きつけられてしまい驚いた。つまり、20世紀型授業というのは、教師が「自分①」の役割しかできないのである。これをぶち破るには、なるほどICTというモニタリングツール(媒介道具)がなければならない。ICT教育の神髄について、こんなところで気づくとは!

☆それはともかく、授業終了後、「自分②」の役割である品田先生が、5人の生徒と対話をした。「哲学授業を受けたいと思った」理由を尋ねたとき、生徒から「もっと自分を知りたい」「自分を客観的に見つめたい」と反応があった。「哲子」がいたのである。

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☆この哲学授業は、だれにでもできるであろうか。もちろん、できる。ただし、知の饗宴ができる人でなければならないだろう。やはり哲学にはアポロ的権力よりもデュオニソス的ケイオスを楽しめる知力が必要だ。

☆デュオニソスは酒神であり、芸術の守護神である。今回の仕掛けを話し合うのに、お2人はデュオニソスとともに多少は酩酊したに違いない。そこにはニーチェも必ず顔を出していたはずだ。

☆それはともかく、メタ認知なんて言葉は、この授業ではでてこない。そんな言葉を使わなくても、画像というトリガークエスチョンと「自分①」と「自分②」のファシリテーションという学びの空間の中で対話をすれば、ナチュラルにメタ認知レベルの思考力が身に着くのである。もちろん、もっとプログラムの深層には、ラカンの「鏡像段階論」とピアジェやヴィゴツキーの構成主義的学習の仕掛けが織り込まれている。

☆この目に見えないプログラムをプレイすることによって、生徒は思考力や思考の技術を身につけるのである。これが21世紀型教育の究極のゲーミフィケーションデザインである。考え方をワークシートなどでむき出しにする野暮なデザインは、オー先生やくま先生は好まない。その部分は、電子ボードやiPadに巧みに演出させてしまう。授業は粋でないと♪

☆全8回の哲学教室。始まったばかりである。

P.S.

鏡像段階論を応用して、生徒がトビラを開いて思考の世界に入り込むプログラムもあった。「私は・・・」リストを書いて、大きく2つに分類分けする思考作業。鏡に写っている「プレ自分」と「自分①」をまず分類していく。するとそうしている「自分②」に瞬間的に気づくという作業。思考力を身に着ける「哲学授業」が、国際バカロレアや欧米のリベラルアーツで大切にされる理由をなるほど実感できた。

逆にこいう授業のない日本の教育は、危ういのではないかという気さえする。まさか今話題の道徳の授業がそれに代わるというわけではなかろうな。それは思考を放棄することだからあまりに危険である。

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