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21世紀型教育で、なぜディベート型対話なのか。

☆ストラスブール大学の学生や大学院生がチューターとして日本の高校生とコラボして「世界」について対話する。そんなプログラムをつくるとき、日本の大学生との大きな違いは、チューターもプログラム作りに参加するということ。

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☆日本の大学生も参加するけれど、そのときのアイデアにオリジナリティがない。ストラスブール大学の学生は、小学生のころから哲学に接しているし、高校卒業資格BACでも哲学が教科としてあるから、自分の体験の中に対話のプログラムがある。

☆そして、それに基づいてアイデアを出すからオリジナリティがあるのだ。そこが大きく違うのである。彼らが尊重するのは、オリジナリティのある人間存在なのである。

☆だから日本人の高校生がモティベーションを燃やすようになるのに、モチベーションを燃やせとは言わない。それはすでに対話ではないからだ。

☆彼らとプログラムを創っていると、結局彼らそれぞれのオリジナリティを尊重して融合したプログラムになる。彼らは、私と対話して、私はそれを見える化していくから、おもしろがる。

☆最初は、日本人はなんでもマニュアル化したがると、これもフランス流儀だろうが批判的な面もあったが、しかし、私にも多少オリジナリティがあると認めるや、コラボレーションの関係が生まれた。

☆彼らと確認し合うことは、対話を通して参加者が内なるモチベーションを燃やすコト。それをどうやって?対話なのだが、それを見える化してうまくいったのが、簡易ディベート型対話。

☆いたって普通なのだが、そんなのディベートではないと言いたくなるかならないかで、21世紀型かどうかの志向性の分岐点に立たされる。実におもしろい。

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