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21世紀型教育と「CEFR」<1> おそらく今の文科省では無理

☆今日の日本社会において、21世紀型教育が必要だというのは、世界史の流れからいって、必然。グローバル人材教育だとかイノベーション教育だとかいうものも、21世紀型教育と流れを1つにしている。

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☆というよりも、それらは21世紀型教育のメタモルフォーゼに過ぎない。あるいは単純に置き換えたに過ぎない。あるいは側面の違いともいえる。

☆現状では文科省は、これらを言語技術やICT技術の上でしか考えていない。いやそんなことはない。IBのTOKという哲学授業を学び始めているではないか?プロジェクトベース学習やアクティブラーニングを積極的に取り入れているではないか?

☆しかし、それらもスキルの上の話である。方法論だけの話である。いやいやこの「方法論」という言葉すら、ハウツーの意味でしかとらえられていないという点で現状では希望がない。

☆いやいやちゃんとCan Doリストを奨励しているし、そのベースとして「CEFR」も研究しているではないか。実際NHKの英語講座やTOEFLなどこの基準に従っているではないか?と問われるだろう。

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☆しかし、それでも文科省では世界標準の意味での21世紀型教育は無理なのだ。21世紀型教育の方法論にパラダイム論が結びついていないからだ。「CEFR」は言語教育制作と学問上の側面から研究しなければならないが、政策と言ったとき、あるいは学問といったときパラダイムを抜きに研究できないのである。

☆ところが、文科省は、そもそもパラダイム論は語らないし、それは当然なのだ。なぜなら、それは現政権にゆだねられているから。そんなコンセプトの問題は官僚は議論できないシステムになっているのである。

☆パラダイム論というのは、コンセプチャルな問題である。89年のベルリンの壁崩壊に象徴されるように、パラダイムは大転換したのだが、その転換を現政権は持ち込まない。よって文科省の教育政策は、21世紀型スキルを活用しつつもパラダイムは冷戦期までのもの、つまり高度経済成長の夢を追い続けているのである。

☆一方、欧米はこのパラダイムの大転換を踏まえて議論し続けている。その議論の延長上に「CEFR」がある。

☆言語教育政策ということは、民主主義の問題であり、人権の問題である。そしてそれらとつねに葛藤を起こす経済上の問題をどのようにとらえるかという問題である。

☆学問上というと、要素還元主義なのか、認知科学的・心理学的学問の成果を介して明確になっててきた構成主義的学習観なのかという問題があるが、ここでさらに注意しなくてはならないのは、構成主義と言っても、要素還元主義のパラダイムをベースにするのか、関係総体主義をベースにするのかによって全く異なるということである。

☆このパライム論があるから、一方通行的な講義型の授業は見直されるのである。民主主義的には、この方法は駄目である。人権的には、ますます駄目である。苦痛を強いる一方通行的講義は、抑圧的で、それだけで人権問題が横たわっている。そういう議論が欧州評議会を中心になされているのである。

☆文科省は、それを子どもの学力保証に結びつけて論じることしかできない。文科省は官僚であり、そもそも民主主義になじまない機関である。それは日本に限ったことではない。しかし、だからこそオープンに多様な議論が必要なのだ。

☆さて、経済的には、学力格差を生む講義形式の授業は、階級構造を温存するから、市場の原理を歪曲するという議論がなされている。

☆学問的には、対話という知の関係主義と心理学上の関係主義の両側面から議論される。知や心理のコヒーレントな関係を見出すには、インタラクションとか対話を無視した講義形式の授業ではうまくいかないことはおそらく欧州評議会では議論済みだろう。それがゆえに方法論の正当性・信頼性・妥当性が議論され続けている。

☆しかし、文科省はインタラクションや対話がコヒーレントな知や心理の関係を生み出すことについて議論はなされていない。それは当たり前だ、官僚にとって科学的な一貫性などどうでもよく、政治権力にとって一貫性があればそれでよいのである。これが権力の合法的根拠になるからだ。

☆また評価についても、IBやPISA、CEFRをモデルにして、形成的評価やポートフォリオをと推進されているが、これらを議論することは、民主主義の適正手続きの問題であり、人権を保護するために学びの過程を明らかにするという意味で重要であるはずなのだが、これもまたそこの基礎的部分はカッコに入れられ、ハウツーだけ採用されるのである。

☆本来、このポートフォリオ型の自己評価は極めて重要である。評価は他者から決められるのではなく、自己によって決定される。評価とは自分の知や心理の成長を促すものであり、他者によって決められるものではない。

☆従来型の受験勉強なるものが、いかに民主的ではなく、人権を無視する行為であることか!21世紀型教育から見ればそういうことになる。

☆私が私立学校に21世紀型教育の実践を期待しているのは、明治以来、私立学校は文科省ができないところを創造してきたからである。≪私学の系譜≫といのはそういうことなのである。

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