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聖学院 先進性・先見性の最前線へ

☆聖学院は21世紀型教育を標榜して久しい。それゆえ実践及び実績が蓄積されてきている。この実践や実績が蓄積されるということはどういうことか。これを理解することは、現状の教育界や受験業界では難しい。東京大学あるいは京都大学の教育リサーチ部門でやっとわかるレベルだろう。ハーバード大学なら大歓迎とエールを贈ってくれるような教育。

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☆それゆえ、あまりに先進的であまりに鋭い先見性。教育の最前線で闘っているのである。だから進む道に灯台やランターンがあるのではない。自らのサーチライトを照らしながら進まねばならない。まさにプロジェクトベース学習!

☆そこでは、まるでダンジョンの中で魔物と闘っているような心理に襲われることもあろう。不安だし入り口に逃げ帰りたい気持ちでいっぱいになるときもあろうだろう。

☆しかし、成長騎士物語では定番の優れた/心優しい頼りになる仲間がいる。それぞれの教科チーム、新しい学校づくり委員会チームが重厚かつフラットに、もちろん時には大ゲンカしながら絆を深めている。

☆いうまでもなく、このチームには生徒も参加する。その見事な成長物語のハッピーエンドは卒業式であるが、いくつものモデル成長物語がある。

☆説明会のときに、生徒が自主的に行うポスターセッションもその一つだ。先輩後輩がコラボレーションして教え合うチャンスもその一つだ。文化祭のプロジェクトマネジメント手法の委員たちの活躍もその一つだ。グローバルな活動としてタイ研修旅行もその一つである。

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☆そしてもう一つ、「思考力セミナー」がある。もともとは思考力テストという入試を行うに当たり、あまりにも新しい試みなので、受験生に入試の意図や学びの方法をシェアしようとして始まった。

☆しかしながら、やり始めると、時間を忘れ没頭状態が目の前に広がった。受験生と教師は、すぐにともに考えるチームになり、考えるコトがこんなにおもしろく自らを友人を事柄を知るチャンスであることを実感したのである。

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☆それからというもの、この「思考力セミナー」にかかわる教師チームのモチベーションは燃え上がった。そして持続している。今年も行うのであるが、入試というのは学校の顔である。学校の教育活動が反映していなければならない。それゆえ、思考力セミナーを体験して入学してきた生徒のプロセスフォリオを検証しなければならない。

☆考えるコトはたしかに重要であることは説明するまでもないが、思考力を評価する尺度は実は日本の初等中等教育の制度にはないのである。エッまさか?そう驚かれるほど、ないのである。

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☆だから、聖学院はそれを自前で創るために、プロジェクト学習や新しい評価研究、21会カンファレンスでパネラーとして参加するなどアクティブなのである。すでにタイ研修やポスターセッション、新しい学びのプログラムで研究を積み重ねている。

☆そして、今思考力セミナーのリサーチを始めるのである。そこで生まれた成果は、同時に教育活動の中に活かされるだろう。その柔軟性が聖学院の心意気なのだ。

☆さて、これらのプログラムやリサーチは一見するとみなバラバラのようであるが、実は思考力の評価尺度という意味では、一つなのである。その研究は英語科が中心になってやっている。「CEFR」というヨーロッパ言語共通フレームワークなる指標であるが、米国では認知科学の分野でタキソノミーと呼んでいる分野である。

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☆ただし、「CEFR」は欧州評議会で決定しているところが米国とは大いに違う。ヨーロッパという多言語の文化と学問の自由の歴史的拠点で、大学機関ではなくて、欧州評議会がヨーロッパ市民的見地で形成した基準である。議会ではなく評議会であることの価値を知るのは、日本の文化では難しい。もちろん形ばかりの評議委員はいろいろな組織でいるのであるが。

☆しかし、古代ギリシャの民主制以来、脈々と続く議会と評議会の差異問題。そういう深い背景=教養の結実が「CEFR」である。

☆またまたホンマは何を言っているのかわからないと言われるかもしれないが、それほど聖学院の教育活動は深いのである。レゴという道具でMITメディアラボの研究成果を活用したLearning by makingのPBLをやっていて、最前線にいるのだが、その背景たるや歴史文化的、エスノグラフィー的な素養で満ちている。

☆こんなことが、大学合格につながるのかと問われるかもしれない。およそナンセンスである。鴎友学園女子がもう20年も前になるだろうか、創造性こそ第一であると標榜して今日を迎えているのが論より証拠である。

☆遊びと学びは、別名学問というのである。聖学院が教育の最前線で格闘しているというのは、大学以前に学問のマインドを生徒とともに学んでいるということを意味するのである。

☆そんなのは大学入ってからで十分ではないかと問われるかもしれない。IBやAPという欧米のエスタブリッシュ教育では、中等教育では当たり前である。この発想がないから、日本の高校卒業資格では、オックスブリッジにエントリーすることもできないのである。

☆以上のような問を投げかけてくる学校は、グローバリゼーションに背を向けた教育を行っている学校であると思って間違いないだろう。つまり子どもの可能性を偏差値で測定している学校である。

☆聖学院の教育の最前線が注目に値するのはこういうわけなのである。

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