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座禅でバシッは、もちろん体罰ではない。何が問題か。

☆禅宗の警策について、朝日新聞(2013年5月14日)は、こんな記事を掲載。

座禅中に姿勢が乱れると、バシッと肩をたたかれる。それは「体罰ではない」と禅宗の僧侶たちが周知をはかっている。教育や指導と称した体罰が社会問題になる中、たたく際に使う棒「警策」を体罰と結びつける誤解を解くためだ。

☆警策は体罰か?という問いは、果物ナイフは兇器か?という問いと同じであり、それに対する回答が、即NOといえなくなっている今が問題である。

☆これは論理とか道徳の問題ではなく、感性の問題である。年長さんと小学校1年生と粘土のワークショップをやるときに、さあ花を作ろうと言っただけで、出来不出来はともかく粘土を形作り始める。

☆しかし、現状のロボットにさせようとすると、相当なプログラムを書き込まねばならない。そのとき論理と道徳は書き込めるが、感性はまだまだ難しい。

☆認知科学でもよく話題になる。ロボットが、危険な障害物をいくつもおいた空間を、無事に出口までたどりつくには、相当な時間がかかるというよりも、あらかじめ障害物が置かれていることをプログラムしておかないと危なくてしかたがたがない。プログラムにないものは、ルンバのように回避できるだろうが、おそらくセンサーを働かせながら計算する時間がそうとうかかり、止まってしまうだろう。

☆わたしたちは、ロボットさながら、論理と道徳を書き込まれ、感性はロボットレベルになっているということか。

☆体罰か体罰でないかのセンサーが働くなっているので、徹底的に論理と道徳を書き込んだ解説書が必要になっているということなのか。それが本当の問題?

☆もっとも臨済宗もしたたかである。この一件は、それはそれでPR効果あり。連休中にお寺を訪れる人々をゲットしようという感じだろうか。。。

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