« 21世紀型教育で、なぜディベート型対話なのか。 | トップページ | 私学研ブログ週間ランキング30(2013年5月4週目) »

拝啓 ありがとう あなたに伝えたいことがあるのです

☆今フランクフルトは朝5時。昨日までストラスブールでプログラムをともにした15歳の生徒たちとは別れ、一足先に本日帰国する。

☆彼女たちが残りのプログラムを大いに楽しみつつも、無事帰国してほしいと祈っている。そしてありがとう。

P5251410

☆彼女たちと出会ったのは、彼女たちが中1のときだった。そして久しぶりに再会したのは、このプログラムのサポートを頼まれたからだ。

☆彼女たちの成長ぶりには、本当に驚かされる。それは4年間の空白があったからというだけではない。

☆日々刻々と彼女たち一人ひとりの壁をあるいは殻を破る小さな音を聴くことができたからだ。その殻を破る姿を見ることができたからだ。

☆ともすれば、このアプラクサスが卵の殻を破る瞬間は恐れられる。だから、その瞬間の音に耳をふさぎ、目を閉じる。いやそもそも気づかない。

☆このアプラクサスの真の姿はオリジナリティであり、パーソナリティの発露なのである。創造力のエネルギーである。のにである。

☆たしかに、一般にその破れる音は小さい。それゆえ変化を見逃してしまうのだが、その大人の気遣いのなさを、子どもたちは繊細にも無関心に感じてしまう。

☆こうして、多くの子どもたちが殻を破るのを諦めてしまう。オリジナリティを創ることができないまま大人になる。オリジナリティがない場合、どうなるかというと、あらゆることに問いかける。他者に問いかける。なぜ、どうして、どうしたらよいの、これからどうなるの、見たことがないものは恐ろしい、聞いたことがないものはこわい、体験したことのないものは心配、恐怖、不安、動揺・・・。だから右往左往し右顧左眄し世間の動きに翻弄される。

☆ところが、彼女たちには、その音を聴いてくれる教師がいる。その殻を果敢に破る姿を応援してくれる教師がいる。彼女たちは異文化の地に行き、異文化の人々に会い、対話をする。自分の想いを議論する。自分の繊細な感情を豊かに表現する。

☆その対話の過程で、確実にオリジナリティの生成が始まる。オリジナリティの生成の流れがわかる時は、殻が破れる音が聴こえる時は、殻を破る姿を見ることができる時は、彼女たちが、何か大きなものに問われていることに気づき、それに自分なりの考えで応えようとしているその瞬間に訪れる。自分なりに活動する瞬間に訪れる。

☆もちろん、その何か大きなものが何であるのか、その回答は1人ひとり違う。何か大きなものとは、いつも問い続ける「世界それ自体」だろう。しかし、目先の利益や損得勘定といった仮象の世界を追い求め続けても、負けそうで泣きそうで消えてしまいそうになってしまう。

☆そんな仮象の世界で、やる気スイッチを入れるのではなく、大胆にもそんなスイッチをどんどんオフしていく教師がいる。だから、彼女たちは今まで仮象の世界の光がまぶしくて、見えなかった何か大きなものに気づくのだ。そしてそこからやってくる問いを見つけ、考え始めるのだ。活動しはじめるのだ。

☆問いは自分ひとりが他人に聞くことではない。問いは自分に投げかけられているのである。自分で問い続けることなのである。そして、解答は自分で見出さなければならないけれど、いっしょに考えてくれる仲間がいる、異文化の人がいる、教師がいる。

☆そういう瞬間に立ち会えたのは、幸せである。そして、その瞬間を見逃さない視点を私自身が(まだまだ足りないとはいえ)、もてるのは、多くの仲間や私学の先生方とコラボしてもらっているからだ。

☆今も、男子校のタイ研修の動画を贈ってもらったばかり。グローバル教育、ICT教育、リベラルアーツとは、子どもたち1人ひとりが、問い続けることができる何か大きなものとの出会いに導くコラボレーション。この実践をしている先生方や仲間の存在。そしてそのコラボレーションの世界に参加する勇気ある親の存在。

☆いつもこの存在の意味を問い続けるチャンスをもらっている。

☆拝啓 この手紙を読んでいるあなたに ありがとう!

|

« 21世紀型教育で、なぜディベート型対話なのか。 | トップページ | 私学研ブログ週間ランキング30(2013年5月4週目) »

21世紀型教育」カテゴリの記事