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偏差値が無駄な例たくさん

☆昨日バッタリ知人とあった。高学歴の知人だからだが、大学生の実態に驚いていた。というのも、たしかに学力とかどうのこうのと言っている以前の問題があると、なんとかしなければと魂をふるわせていた。

☆つまり、知人の周りの同僚や私立学校の先生方と話をしていると、大学生がひどい状態になっているというのは、どこか遠くの国の話のようだけれど、いつもとは違う環境の大学に行って、現実に直面したということだ。

☆たしかに、これは別の話だが、恐ろしいことに、大学生向けのライティングの指南書を見たりすると、エッ!と。私立中高の生徒にはあまりに当然のことだと思うような指南書になっているのものが多い。

☆知人と話していたのは、私たちの周りの私立学校というのは、進路先は、相当レベルが高い。もちろん海外と比べたらどうなのかは、また別の話だが、ともあれ、同学年の卒業生の上位20%くらいに入っている。

☆世の中の大学生の学力低下の問題は、この20%の学生にとってはあまり関係がない。それなのに、この20%、いやいや首都圏の中学受験生なんか、同学齢の3%の話なのだが、この中で偏差値で高いから賢くて低いからそうでないなどと平気で言っている人の気がしれない。

☆たとえば、筑駒や開成などの母集団で、偏差値が70と68の違いって何なのだろう。それなりに確かに何か違いはあるだろうが、グローバルに見たら、全く関係ない。

☆しかも、これは筑駒でも麻布でも開成でもどこでも明らかになっていることだが、入学時の偏差値と卒業時の成績に相関はまったくない。

☆だとするならば、この3%の母集団における偏差値の差などというものは、将来にはなんの相関もないのである。相関があると思っているのは、生徒による自縄自縛か、教師や保護者の非科学的な世間知に過ぎないのである。

☆最近IBの話題が旬であるが、このプログラムについて、またまた中学受験の偏差値が高いか低いかによって、受けられる受けられないのかが決まるみたいな幻想を蒙昧を放つ御仁がいる。

☆もうやめようよ~。私立学校に通っている限り、すべての生徒に可能性はあるのだということがなぜわからないのだ。

☆ある学校の幻となったIBコースの一期生、二期生は、今は私立の普通高校に通っているが、当時の中学受験の偏差値は高くなかった。だから、当初そもそもIBなんて無理だと言われたと聞く。しかし、彼らは今や成績面でもリーダーシップという面でも大活躍している。

☆思考力とリベラルアーツのプログラムは、何より潜在的な才能を開花させる証明である。

☆もうやめようよ~。本当に子どものことを思うのなら、偏差値で評価するのはおかしいのだ。この日本の中で椅子取りゲームをしていればよかった時代は、それもやむを得なかったかもしれない。

☆でも時代は変わったのだ。偏差値では世界の才能者と交流できない。そんことがわからないはずはないではないか。

☆勉強しなくてよいなどと言っているのではない。中高生は一日5時間自宅で勉強しなければならないというのは持論である。これを基準に部活や生徒会をがんばるのはよいが、一日5時間勉強しないで部活や生徒会をやるのは辞めたほうがよいというのが私の考えである。

☆ただ、その5時間の勉強の仕方を、日本の大学受験のために使うのか、IBやAレベル、APレベルの学びに費やすかは別問題である。

☆それに5時間なんて時間も、後者に費やす場合は、関係ない。好きなことは時間が気にならない。それと同じくらいの感覚で学べるだろう。勉強することが苦痛でない学びというのは、あるのである。

☆だいたいあの紙切れ一枚の偏差値表が、世界で全く価値のない紙切れなのだよ。しかも、その紙切れもって、学校をあおっている御仁の頭の中をみてごらん。偏差値表と同じ価値しかないかもしれないじゃないか。なぜか、テストも作らず、授業もせず、テスト測定学も研究したことがなく、紙切れに書かれている数字だけ並べているのである。

☆なんで、そんな御仁の言うことを信じることが平気でできるの?形成的評価なんて役に立たない、偏差値評価が正しいなんて言っている御仁は、形成的評価したことあるのかね。授業も学習プログラムもやったことがなければ、できないんだよ。偏差値は、自分が教えなくても、テストを作ったことがなくても、外部模試でも受けさせれば、そのテスト会が出してくれるだろう。

☆とにもかくにも、教育ジャーナリストにしても、同じだ。そんなことが許されているのは、教育業界だけだ。

☆サイエンスジャーナリストや政治評論家とか、すくなくとも書く対象の理論や人物のプロファイルからなにから調べるだろう。勉強するだろう。

☆でも、教育業界は、そんなことしない。偏差値と学校のパンフレットに書いてある言葉で、平気で語ってしまうのだ。

☆経済の自由だから、合法的な範囲であるのなら、いかしかたがないが、合法的かどうか誰も判断してこなかっただけ。ともあれ、自分の息子や娘をそんないい加減な尺度で心悩ませてはいけない。選択の決断だけは、偏差値によるのではなく、親の判断で支えたい。

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