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21会 「思考力テスト」の考え方

21会(21世紀型教育を創る会)校は、グローバル教育、イノベーション教育、リベラルアーツ(GIL)をベースにした教育を実践している。

☆そして、入試問題は学校の顔であるから、そのエッセンスを反映する「思考力テスト」という新しいテストデザインに取り組んでいる。

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☆21会コンソーシアムは、学習理論部会、思考力テスト部会、グローバル教育情報部会にさらに分かれている。21会各校の情報リサーチのみならず、各校がコラボして、各部会で研究している。

☆その話し合いの中で、ビジョンがかなり具体化してきている。「思考力テスト」も同様である。今までは、模擬試験のようなテスト形式を20.0型入試と呼び、模擬試験では採点の関係でさけられてきた論理的思考を論述する形式が含まれている試験を20.5型と呼んできた。麻布や開成、公立中高一貫校のテストがその例だろう。もちろん、レベルは違うが。

☆21会各部会で議論をしているときに、当然タキソノミーやCEFR、PISAなどのクライテリアの話がでてくるのだが、それを加えると、20.0型入試や20.5型入試は、既存の知識をテストする入試と既存の知識と既存の知識連関「網の目」をテストする違いがあるということが、具体的に意識されるようになってきた。

☆知識と知識を連関させるところに、論理的思考や批判的思考は必要なのであるが、トレーニング済みで、既存の「網の目」であることに変わりはない。

☆したがって、20.0型も20.5型も、バラバラの知識をテストするか、網の目までテストするのかの違いはあるが、「既存」つまり「記憶の再生テスト」であることに変わりはないのである。

☆ところが、21会が開発している「思考力テスト」は、日常的な既存の知識は使うが、いわゆる20.0型テストのために準備する知識は使わない。そして、「網の目」も予めトレーニングしてくる「網の目」は使わない。

☆むしろ、「網の目」を作りながら、その過程でどんな「新しい知識」が生まれてくるのかを問うのである。みたこともないような写真から、そこに写っている生活社会を組み立てていくとか、実際にストーリーをレゴを組み立てながら作る過程で、新たな葛藤が出てくるから、それをどのように解決するかを問うとか。

☆知識を既存の網の目(フレーム)に当てはめていくパズルではなく、フレーム自体を自分で作っていくわけである。もちろん、そのフレームの正当性や信頼性は重要で、コミュニケーションの中で耐えられる論理は構築しなければならない。

☆グローバル時代では、基準やルールなどのクライテリアを自らつくるところから始め、いかに新しい知識であるアイデアを生み出せるかという意味での思考力を身に付けることが要請されている。

☆イギリスではAレベルの中で、thinking about thinkingという学びがそれを養成している。IBではTOKがある。米国ではAPコースがある。日本の学習指導要領は、論理だ思考だ言語だといいながら、20.0型から20.5型にシフトしただけだ。それは公立中高一貫校の適性検査を見ればすぐにわかるだろう。

☆いや作文ではそんなことはないと言われるかもしれない。しかし、自由に書けというわけだから、既存の網の目にしたがって子どもたちは書くわけで、網の目を作っていく段階から問いが設計されているわけではない。

☆もちろん、21会校全てが21.0型入試を行えるわけではない。現状は20.5型入試からスタートであるかもしれないが、IBのリサーチやCEFRの探究、留学の積み重ねなどと共に21.0型入試の開発の着想は生まれてくる。

☆現状は聖学院の「思考力テスト」、かえつ有明の「思考力テスト」が実践済みで、そのモデルケースを21会で研究中である。工学院は司書教諭のスキルを思考力テストに組み入れるプロジェクトが立ち上がっており、メディアセンターのリソースが反映されるこれまた新しい「思考力テスト」になる可能性がある。

☆富士見丘では、思考力テストよりも先に、そのテストに反映されることになる「哲学授業」の開発が進んでいる。やがて、「思考力テスト」という形でも結実するだろう。

☆共立女子では、一部ではあるが、選択肢問題でありながら21.0型の問題が出題されている。選択肢問題であるところに、もしかしたらオンライン学習において最適化できるかもしれない。期待は広まる。

☆聖学院とかえつ有明両校とも、学校説明会のたびに「思考力セミナー」や「思考力テストの対策講座」を公開している。それぞれ一長一短があるが、それは今後ソフィストケートされていくだろう。

☆21・0型テストの地平が見えてくると、実はそのとき授業も完全に21世紀型に移行できる。テストが先か授業が先か、それは今はどちらからでもかまわない。

☆しかし、最終的に、今までのテストしかデザインできなければ、どんなにICTが入っても、タブレットを使っても、本質は変わらないだろう。21会の挑戦は歴史的にも画期的だということなのである。

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