週刊東洋経済7・6 エリート教育とお金 必見!(11)
☆週刊東洋経済は、サンデル教授の正義、つまり選択判断の4つの価値意識をつかって、各政党の政策を比較検討・分析した記事を掲載したことがある。
・リバタリアニズム
・リベラリズム
・コンサバティズム
・コミュニタリアニズム
☆しかし、こと日本のエリート教育となると、リバタリアニズムの価値判断の切り口だけで分析している。
☆ところがそうはいかないだろう。たとえば、紹介されている6校のうち、純粋にリバタリアニズムなのは、渋谷教育学園幕張と広尾学園だろう。
☆豊島岡女子はコンサバリバタリアニズムだし、加藤学園暁秀、日本女子大はコンサバティズム。
☆佼成学園女子は、リベラルなコミュニタリアニズム。
☆だから、テクニカルニは、海外大学も射程に入れた教育をしても、ファンダメンタルには相当違いがある。
☆本当にテクニカルな側面にのみ注目して、入学時の偏差値と大学進学実績という二点ROI(費用対効果)だけで、学校選択は可能なのだろうか。
☆だいたいこの2点の差で本当にROIが測れるというのだろうか。おそらくテスト測定学も導入していない日本の学力評価システムのスコアは、合理性がない。
☆思春期に何が投資かというと、自然や社会、人々との関係全体だろう。ほとんどがお金に換算できないものばかりである。
☆お金に換算できる一部のものに着目してもそれでは教育をカバーしきれない。
☆投資をした成果も大学進学実績でもあるまい。
☆それは佼成学園女子に訪れれば、ハタと気づくことだ。ROIでは測れない環境があるからである。たとえば、マザーテレサの精神に出逢うことができる。ガンジーの精神に出逢うことができる。
☆このような精神は、お金で測れるものではない。だいいち、彼らは世界一金持ちなのだ。どういうことか?すべてを捨てたから、世界のすべてが彼らのものになったのだ。
☆そんな学校を訪れるだけでもすごい体験だ。
☆ROIは投資してお金を得ようとする発想である。優勝劣敗主義市場の発想は。お金を奪取するということである。これはマザーテレサとは真逆である。したがって、佼成学園女子の本当のところは、ROIをぶっちぎるから、測定不能なのだ。
☆そこが全く渋谷教育学園幕張と違うのである。
☆それに、思春期に経験値を積み上げねばならないのは、お金を奪取する優勝劣敗競争に勝ち残り、自分の学校だけが生き延びるカプセルをつくる資質ではない。なぜそんな幻想を外発的モチベーションとしてぶらさげるのだろう。
☆20世紀の悲劇を乗り越える21世紀型ビジョンを、すでにヴィクトール・フランクルが身を持って示唆してくれている。この示唆の意味を深く味合う経験値こそ大切である。
☆ROIとは違い、全てを奪われて、最期の瞬間ギリギリのところでも、フランクルは収容所の仲間と共に生きる意味を創り出す。何もなくても意味を紡ぎだすモチベーションは誰にも奪われないのだと。
☆この実感を、強制収容所に入って体験するわけにはいかないが、現代社会や奪取型優勝劣敗経済の枠組みに、強制収容所と同じ構造を見出す体験はできる。
☆それは世界の痛みを共有する体験を積み上げることだ。佼成学園女子のボランティア活動にはこの体験が宿っている。
☆この経験値がエネルギーになって、自分の道に意味を見出せるから、結果的に進路実績が出るのである。
☆優勝劣敗/奪取という側面のグローバル時代で生き残ることは、強制収容所で、他の仲間を売って生き残るようなものである。
☆しかし、そのような状況でも共に生きる人間関係を少しでも広めていく(物理的にだけではなく、イメージの中で鉄格子の外の友とも共に生きる意味を見出していた)フランクルの発想は、生き残るのではなく、どこまでも共に生きる意味を創造することなのだ。
☆この共に生きる意味の創造社会こそ、グローバルの本意である。この本意を捨てて、優勝劣敗/奪取グローバル社会を運命だと思って、変えようとしない精神は、アドルフ・アイヒマンと同じ精神構造だとリフレクションする必要があるだろう。
☆もちろん、誰にでもアイヒマンは忍び寄る。この精神との闘いの積み上げが、疾風怒濤の思春期の時にトレーニングされる必要がある。
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