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富士見丘の授業 憧れの最近接発達領域

☆富士見丘の大島教頭と白鶯副教頭にインタビューして、私なりにイメージしたのが前回「富士見丘の暗黙知 今形式知化へ」の記事でご紹介した図であるが、以前書いた「富士見丘 憧れの『最近接発達領域5×2』」を振り返って合わせ読んだら、次のような図を思いついた。

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☆富士見丘の授業では、知識を憶えさせるというよりも、白鶯先生によると知識と知識の連関に注目すると。そこで「網の目」というメタファが使われたのだが、教師と生徒、あるいは生徒と生徒、あるいは生徒と外部の見識者といったかかわりによって、その網の目はソフィストケートされていく。

☆そこで標準形の網の目ができるのだが、生徒によっては、すべての知識が格子点にあるわけではない。また、一人一人によっても格子点の穴は違うだろう。

☆そこをどうやってリンクするのか。それは生徒が関心をもった知識から対話をするのである。それが自主研究への道になっていくのだろうが、好奇心のある知識を引っ張り上げると、途中で網の目に穴が開いているのが、わかる。

☆その時点でそこを結うわけである。通常授業では、その穴は教師が気づく場合が多いだろう。その穴を、おそらくヴィゴツキーは最近接発達領域と言ったのではないか。

☆だから、教師と生徒の対話によって、その領域を互いに理解し知識化という結う学びをするのであろう。

☆しかし、標準形の網の目は小さいし、縁はみなリンクする可能性をもたっま開かれている。ここをどのようにつないでいくかは、自分で探求し、インタビューや議論、プレゼンを積み上げて、自ら結っていかねばならない。

☆この自己の学びのプロトタイプを創るには、プレプロトタイプとして、授業で形作られる標準「網の目」が大切なのである。

☆このプレプロトタイプが形成されずに、知識をたくさんバラバラに憶えていたとしても、自己の学びのプロトタイプを創ることができない。

☆かくして、指示されたことは賢くもできるのであるが、議論ができない創造性のない優秀な人材ができあがるのが、20世紀型教育の特徴だったのである。

☆富士見丘の教師は、ここから生徒の未来を救済しようとしているのではあるまいか。

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