丸山真男「明治国家の思想」 今も続く日本国家
☆それが独自のものとみえるのは、ヤヌスの二つの顔が、幕末に尊王攘夷論と公議輿論思潮という運動態となって歴史的に現象しているところにあるが、丸山真男が、前者は中央集権的な統一国家の建設の原理として「国権論」と発展し、後者は公議輿論の思潮が政治的底辺に向かって広がる自由民権運動という「民権論」に発展したと言うとき、近代の国家の本質的アンビヴァレンツ構造を語っていることになる。
☆明治国家が、突然近代の仲間入りができたのは、この解決不能なジレンマを構造として取り込んだからである。
☆しかしながら、近代諸国家と日本はその性格が違うように見えるのはなぜなのか?それは「国権論=国権ビジョン×(国権要素+民権要素)」、「民権論=民権ビジョン×(国権要素+民権要素)」という関数式が、どのポジショニングをとるのかによって違ってくるということに過ぎない。
☆タイプ論的に分けると、次のような図になるか。
☆明治14年の政変にいたる前夜は、明治国家はphase1の精神的雰囲気を有していただろうが、政変以降は、phase5に一挙に傾斜した。富国強兵、殖産興業、優勝劣敗路線に突入していく。
☆大正デモクラシーによって、phase2にフレルが、世界恐慌は、再びphase5に傾斜する。
☆戦後は、phase6の日本国憲法や教育基本法が成立するが、ユートピア的性格が現実主義者、法実証主義者によって、phase2にシフトされ、そして第一次安倍政権、第二次安倍政権によって、phase5にシフトする精神的雰囲気が濃厚になってきている。
☆教育において≪官学の系譜≫が求める政治経済は、phase5であるが、この危うさを回避しようと≪私学の系譜≫は、明治以来phase3という≪均衡≫を生成する精神的雰囲気で警鐘を鳴らしてきた。
☆しかし、鐘を鳴らすだけでは、危うさを食い止めることができなかったことも歴史が物語っている。≪官学の系譜≫がphase4で臨んできたとき、≪私学の系譜≫は、微妙な差異を主張するだけで、決定的な変容を働きかけることができない。この微妙な差異に気づく大衆はほとんどいないからである。
☆いかにして人類普遍の原理であるphase6を保守することができるのだろうか?
☆実は、政治に関しては、この関数式が表すポジショニングはダイナミックにシフトしてきたのだが、経済に関しては、≪官学の系譜≫も≪私学の系譜≫も、phase4か5に留まり、それを問い返す議論をしてこなかった。
☆つまり、ハードパワー経済に安住してきたのである。
☆そこに、結局は明治以来今も続いている優勝劣敗路線を根本的なところで変えられない原因がある。ケインズやモモの希望に気づく精神的雰囲気が生まれない限り、phase5への道を阻止することはできないだろう。
☆広島、長崎、終戦、3・11、フクシマという強烈な警鐘があるにもかかわらず。
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