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グローバル教育 各国の思惑 カナダ最先端か

国際シンポジウムで拝聴しながら、感じたことは、各国のグローバル教育の背景の違いである。

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☆参加した国に限るが、大きく2つのグループに分けることができる。

国家によるグローバル教育をコントロール、国民は国家をチェック

 イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、日本

市民がグローバル教育を担い、国家は市民が活用

 カナダ

☆そういう意味では、グローバルシチズンシップが活躍しているのは、カナダだろう。他は、そこに向かっている過渡期かもしれないし、グローバルシチズンの理解を深めるにとどめる戦略かもしれない。

☆日本は、後者だろうし、今回参加していないアメリカは、他国と違い国家=市民社会の色が濃いから、混在していると考えられる。

☆日本は国家以外に市民社会はない。イギリスは国家と市民社会は別物。オーストラリア、ニュージーランドは、国家≧市民社会という感じか。カナダは国家≦市民社会。

☆今回参加していないフランスはカナダ型とイギリス型の中間。一見カナダ型なんだけれど、どうもグランゼコールの存在はイギリスっぽい。

☆ドイツは、オーストラリア型と日本型の中間。日本型にならないようにオーストラリア型が作動している感じ。

☆さて、そういう政治経済の違いが透けて見える発言であったわけであるが、イギリスは、グローバリゼーションの経済に巻き込まれ、リードもしているリアルな状況にすでにあるわけだから、なんとしてもグローバル人材の役割を国民が理解し、フラット、フェアー、フリーの両刃の剣を払いのけなければならないという価値観のようだった。シェークスピアの国、近代発祥の国らしく、アンビバレンツを標榜ということだろう。

☆オーストラリアは、気さくにも、オーストラリアの若者の貧困問題や格差問題を、若者がみんなグローバル人材として活躍すれば、解決できるというノリ。自分の国の若者はよいかもしれないが、現在のグローバリゼーションは格差社会が広がっているのも事実だから、誰かが勝ち組になれば誰かが負け組になる。そこはどうするのか?グローバルシチズンは救われるのだから、みなそうなればよいという楽観的な!

☆ニュージーランドは、少ない人口で豊かな国だから、世界との競争を、1人ひとりが乗り越えられると考えている。そういう人材を生み出すのは、ハイレベルな教師の質。そこを徹底的にサポートするシステムが優先順位。イギリスと似ているが、政治経済の文脈が違う。クイーンエリザベスからも遠い位置にあるし。

☆そういう意味では、カナダも似ているが、圧倒的に生徒中心主義、市民中心主義。カナダという国の教育省がないということもある。だからかなり自然秩序型経済ベースの教育コンソーシアムが前面にでてきいている。シンポジウムでもひときわ学習プログラム(PBL、アクティブラーンニグのようなディスカバリー・ラーニング)の話題に花が咲いていた。

☆要するに国家主導だと理念やシステムの話が中心になるが、市民社会が主導すると、すでに市民社会の存在そのものが理念体だし、市民社会の存在がシステムそのものだから、国家の理念やシステムをチェックするところから始めなくてよいのである。

☆逆に市民社会を持続可能にするために国家機能をシンプルに強めればよいのである。国家への奉仕者ではなく、市民社会の奉仕者がカナダの国家システムなのだろう。

☆理念やシステムは啓蒙思想そのものだから、いきなり実践的なディスカバリー・ラーンニグのプログラムについて語るのである。市民社会の中に、民主主義のあり方を見つけるように、プログラムの中にグローバルシチズンの国家を活用するノウハウが映し出されるといった感じである。

☆というのも、たとえば、カレイドスコープというビデオコンテストのプログラムは、それに参加する中高生が、すでに国際貿易を学び、提案をするグローバルシチズンの役割をロールプレイできてしまうのである。

☆同じようなプログラムがいっぱいあるわけだが、基本は国際貿易と国際開発について、お勉強ではなく、自分も実際にかかわっていくlearning bu makingスタイルなのだろう。カナダが貿易立国である以上、はやめにそうならなければならないし、基本はカント主義が行き届いているだろうから、平和はお金なのである。

☆カントは「永遠平和のために」で、平和は市場経済が安全にできるという条件で成立するというのである。

☆グローバリゼーションが平和をつくるというときには、格差社会をなくしていくグローバリゼーションでなければならない。

☆そういう意味で、カナダが先行しているし先進的モデルとしてもっと学んでもいいだろう。

☆一方、日本は、国際シンポジウムのコーディネーターである大学教授が、グローバル教育は、競争社会ではなく、平和社会を構築するためにあるのだし、今回のシンポジウムで、それは各国と同じ考えであると理解したと強引なまとめをした。

☆グローバル教育が平和を希求することに間違いはないが、それにはグローバリゼーションという経済社会をどのように再構築するかが重要であり、他の国は思惑は微妙に違いながらもここをはずさない。

☆日本は、相変わらず、経済と教育を断絶させたままである。だから、すぐに平和=NPO=ボランティアとなる。これはB層にとっては耳触りのよい心地よい言葉で、ウケがよい。しかし経済的には、優勝劣敗近代進歩史観で進んでいる。そのことにB層はいつの間にか違和感を感じなくなるといういつもの戦術。

☆経済思想のない教育学の教授は一掃したいと言いたいところだが、そうなったのもわからんわけでもない。というのも1989年以前の教育学部の教授のほとんどは、マルクス経済の洗礼を受けているから、経済学と教育学をセパレートしたほうがよいのだろう。

☆しかし今後は、新自由主義的経済でもなく、社会主義的経済でもなく、自然秩序型経済思想ベースの教育学が求められるのではないか。

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