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東洋経済「注目の中高一貫校」を読む[了]幸せな学校選択 新たな比較優位

☆このところ、東洋経済ONLINEの「注目の中高一貫校」を読んでいて、おもしろかったのはJGと暁星、巣鴨だった。21世紀型教育を突き抜けるほどの教育をするならJGや暁星までやらなければ!麻布や開成、雙葉も実際にはもっとおもしろいのだろうが、編集上は物足りなかった。20世紀型教育を極めるとしたら、巣鴨ぐらいアグレッシブにやらなければ!豊島岡女子や東大寺学園は、偏差値が高いくらいしかわからなかった。

☆掲載校の比較優位は、結局豊島岡女子ではないが、御三家とその「スベリドメ校」という域を出ず、教育の質の比較を考察することはできなかった。よって、この記事についてのコメントは終わりにする。

☆ただし、「比較優位」について、きちんと考えねばならないと気づかしてくれたことには、この編集部の方々に感謝したい。

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2013年2月1日もうすぐ受験生がやってくる。麻布で。

☆経済学者の言う「比較優位」を理解しているとは言い難いが、自分なりには、20世紀型経済の発想で考えれば、「比較優位」は「ある能力や機能において最善の能力や機能をめぐる競争」ということになるだろう。

☆東洋経済で取り扱っているように、中学受験の場合も、偏差値と東大・京大合格実績の優劣が問題で、受験生の能力も学校の選択においても、こういう意味での最善を求める比較優位なのだろう。

☆しかし、これでは最終的には、市場の原理に反してしまう。最善のものが独占するからである。独占へ向けての自由市場という矛盾が20世紀世界経済を恐ろしい状態にしてきたのであるのは、21世紀に入ってからの経済の乱高下やテロなどを想起すれば明らかだろう。

☆しかし、そのことは、20世紀型世界経済が、IT革命によって、その発想が現実に加速され、一気に破局にもたらされてしまったことを意味するし、裏を返せば、ITによって、自然秩序型の経済が再び可能になる予兆もでてきたということなのだ。

☆どういうことかは、広告代理店や紙媒体情報誌、カタログ通販などがネットによってとって替わられているところからも明らかだろう。

☆今では、クライアントは、自分にとって最適な比較優位をすればよいのである。

☆「比較優位」に関しては、ジョン・ケイ著「市場の真実 見えざる手の謎を解く」(中央経済社)が啓発的である。こんな例が挙げられている。あるシェフとあるアーティストが、比較優位して、食事と創作作品を交換していた話。

☆互いに満足できればそれでよいのである。ただ、20世紀は、その情報が偶然性のものだった。それがITやネットの開発によって、検索すれば自分にとって最適な比較優位ができる情報を探せるようになったのである。(ここまでは自然秩序型経済で、これをいかに持続するかが21世紀の課題。ネットオークションなどになると、もはや当事者には関係のないところで売買が成立する。度が過ぎると強欲資本主義の再来となる。この「度が過ぎる」の基準を、20世紀型経済では、バブルがはじけるまで、誰も決定できなかった。ここは「見えざる手」に任せられている。ここがサンデル教授の「正義」問題なのだが、この話は私には手におえない)

☆だから、東大・京大にいきたいときに、何も偏差値カテゴリーの中で最善の学校に、自分を合わせようとする必要はなくなったのである。自分の状況にとって最適な学校を選べばそれでよいのである。偏差値競争をしても、最善の偏差値の学校を選べるのは、3000人くらいである。

☆この中に是が非でもという比較優位の発想は、子どもの未来を幸せにしない確率の方が高い。

☆そうではなくて、東大・京大レベルの学校に行くのに、自分にとって最適な学校を選ぼうということになると、急に幸せの道が開けるのである。ただし、楽ではない。がんばる動機づけが、模擬試験会社に与えられた基準に合わせる外発的なものではなく、自分の基準をいかに、人類普遍の原理と対照し最適化できるかという内発的チャレンジだから、ワクワクするようなそれでいてたいへんなことなのだ。

☆しかし、これは、がんばれば必ず到達できるし、ときには人類普遍の原理さえ新しく変えられるのである。「最善の比較優位」から「最適の比較優位」にシフトすることによって、努力の価値ある学びができる。最善比較優位は、他者の基準に合わせてがんばることであり、最適比較優位は、自分の基準を人類普遍の原理と切磋琢磨していく努力なのである。

☆つまり、前者は全体意思に隷従することであり、後者は一般意思を見つけることである。よく「がんばれ」という言葉は言わないようにという説を聞くが、それは詳しくは、「最善比較優位」の枠組みで「がんばれ」といっても、必ず格差が生まれるので、自分ではどうしようもない=絶望状況にさらに追いやられるおそれがあるから、言わない方がよいということなのだ。

☆しかし、「最適比較優位」の枠組みで、「がんばれ」というのは、がんばっただけ、必ず目標に達することができるから、常に努力と希望は表裏一体ということになる。それゆえ、こういうときには「がんばれ」は妥当なのである。

☆もしも、中学受験を、そのような「最善比較優位」から「最適比較優位」にシフトできれば、幸せな学びの時空を形成できる。

☆教育制度そのものを「最適比較優位」に価値転換するには少し時間がかかるが、個人ベースで、つまり受験生の家族ベースで価値の転換を図ることは大いに可能な時代になった。ついこの間までは、そうは言っても、日本社会全体が・・・と迷わざるを得なかったが、グローバルな時代は、個々人のオリジナリティこそが大事であるということに多くの人が思い知らされているに違いない。つまり、「最善比較優位」から「最適比較優位」の価値にシフトする時代が到来しているのである。

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