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ICTは破壊的イノベーションによって教育に何をもたらすか

☆この国の教育政策論者や教育関連産業には、いつも辟易。教育コンテンツの話はいつも後回し。制度論と手続き論、組織論、マーケティング論ばかりだ。

☆子どもたちが学びの現場で接するのは、書籍であれ、絵画であれ、音楽であれ、競技であれ、情報やテキストというコンテンツ。

☆それが電子書籍になったからといって、オンラインで授業ができるようになったからって、どこが破壊的イノベーションなのだろう。これについては「教育×破壊的イノベーション(2008年)」を書いたクレイトン・クリステンセンの考え方以上の発想がでているのを見たことがない。

☆どんなに税金をつぎ込んでリサーチしても、クレイトン・クリステンセンには到底おいつていない。2,200円でセミナーやシンポジウム、研修にいかずに、それ以上のアイデアと対話ができる。

☆もっとも、2,200円に集約されるまでに、膨大な研究費をクリステンセンも使っているのだろうから、あんまり短絡的なことを言ってはならないかあ。

☆そんなことを思っていた時に、イノベーティブティーチャー学会のfbを見ていると、公立私立問わず、先生方がやりとりしている箇所に遭遇。

☆おっ!やはり教育コンテンツの話になっている。生徒と情報(テキスト)とICTの三者の関係を議論している(これもまた、SNSのイノベーションがもたらしたッコトである)。

☆ICTはもともと人間のコミュニケーション行為を形式知化した手続き的知識だから、これにどのような情報(テキスト)を生徒にリンクするかという話になっている。

☆情報(テキスト)といえば、外延的知識と内包的知識が入れ子になって、いかに黄金比の美的あるいは数学的感性を生徒と共有するか、あるいは外延的知識と内包的知識が入れ替わるルビンの壺的地と図のレトリック反転をいかに楽しむかなどが問題になる。

☆しかし、制度論や手続き論などの政策論は、内包的知識が入ってくると、議論が混乱するからと、外延的な話しかしない。

☆それでいて、制度ができてから、法解釈という操作で、内包を無理やり追加する。見た目は外延だが、内包はファジーにという戦略だ。お上はスッキリ、下々の私たちは混乱・・・。

☆ここに税金の配分をめぐって、つまり予算という名の優勝劣敗競争が官僚同士、教育産業同士で起こる。2200円の読書会をやればよいだけなのにー^^;

☆ともあれ、上記の会の先生方の議論が、生徒-ICT-情報(テキスト)の関係ととらえ返すことによって、情報(テキスト)が生ものになるのだ。実に破壊的イノベーションではないか。

☆電子書籍は、今までの干物をデジタル化して、効率性、稼働性が高くなりはした。それもイノベーションだけれど、生徒不在。だいたい生徒中心主義の学びはナンセンスだなんていう議論が平気であるくらいだから、やってられない。

☆情報が外延的知識としてしか意識できていない電子書籍や教科書がゆえに、テストの編集も評価もサマティブアセスメントになる。模擬試験会社お得意の成績表が学校の現場でもICTを通して可能になる。

☆テストの結果や評価が、今までは生徒のもとに戻るまでに、時間がかかってきた。しかし、それがリアルタイムになった万歳!でいいわけがないA^^;

☆情報(テキスト)を外延的知識と内包的知識の関係としてとらえるからこそ、学びの最近接発達領域が共有できるし、フォーマティブアセスメントもできる。これはICTによって、はじめて可能になるのだ。なぜか、リアルタイムで対話ができないと、それらは可能にならないからだ。ICTの時間と空間を超える機能が、今までのコミュニケーションの制約を破壊するから可能になる。

☆長々と書いてしまったが、先述した会のfbでやり取りされているのは、ほかに情報(テキスト)の編集が出版社並みになるということ。今までは出版社の編集工程の一部だけを学校で教えていた。論文集というのはその典型。編集工学の目が学校にやっと導入されるようになる。すごいイノベーションではないか。

☆それから、情報(テキスト)が、コンテンポラリーアートやデザイン思考で編集される。やっとリベラルアーツが教育現場に舞い降りてくるのだ。

☆最後に情報(テキスト)が、ビジネスモデルの1つであるナレッジマネジメントからポランニーの暗黙知モデルにシフトする可能性。これもまた、外延と内包の問題でもある。

☆このように、20世紀末に議論されてきた知のインターフェース、教育現場的には、これをかなり狭くしてしまうが「教科横断型」の知性が、ICTが破壊的イノベーションによって教育にもたらしとコトだろう。

☆しつこいようだが、「教科横断型」知性に知の最前線である知のインタフェースがリンクしていない場合、それは外延的知性になってしまい元の木阿弥である。

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