« 高偏差値と高次思考は全く違う! | トップページ | 台風 学校説明会・文化祭にも影響 »

共立女子 デジタルウィズダムを生徒と共有するすてきな教師陣

☆共立女子は常に古くて新しい私立中高一貫校。常に古くて新しいとはどういうことかというと、日々教育のパラダイム転換を楽しんでいる教師がたくさんいるということなのである。

☆まずは、同校物理教師桑子研先生のサイトを見て頂きたい。そのことが瞬間にして了解できる。

ICTを難しく考えないで!今ある機器で今ある技術で、簡易電子黒板を実現する方法

Kuwako

☆桑子先生は、このページの最後に、さりげなく「ディジタルネイティヴのための近未来教室 ―パートナー方式の教授法― Marc Prensky (著)」の本を紹介しているが、Prenskyはデジタルネイティブ(1995年以降に生まれたとか諸説はあるが、2001年以降と考えたほうがしっくりいくかも)とデジタル移民を区別している。

☆デジタル移民は1995年以前に生まれ、デジタル文化を人生の半ば以降に受け入れた人々。

☆多くの教師はデジタル移民かデジタル世界に移民したくない人。しかし、Prenskyは、教育の使命は、いまここで生きている子どもたちの未来をサポートすることであるのだから、すべての教師がデジタル移民になり、今目の前のデジタルネイティブの気持ちや発想に耳を傾けようと提言している。

☆そして、いよいよ今年の中1という純デジタルネイティブに中学の先生方は遭遇したわけである。

☆デジタル移民が、従来の教育の枠組みの中で、自分たちの発想を禁忌され、忌み嫌われ、孤独になり、勇気を打ち砕かれてきた状態を、デジタルネイティブに体験させないように、デジタルネイティブにあったリズムとビジョンとヴァーチャル感覚の教育環境を「すぐに」作る必要がある。

☆しかし、実際は多忙な教師が、「すぐに」作る環境はない。電子ボードの使い方を憶えるだけで手いっぱいになるし、次にはタブレットという原始的な板を持たされ、なにやらやらなければならない。

☆もっともすぐれたデジタルネイティブの環境は、身一つで対応できることである。すべてはそこに向かう過渡的段階。まだまだデジタル環境が人間においついていない。デジタル環境がデジタルウィズダムにおいついたとき、多忙な時間に支配されることはないだろう。

☆そこまでいかないとパラダイム転換は果たされない。

☆そこで、共立女子の先生方は、使い慣れた道具で、デジタルネイティブとデジタルウィズダムを共有できる「創意工夫」を始めた。使い慣れているから、新しい方法(新しい技術一般ではなく、そのディバイスの使い方という特殊な方法、次のディバイスでは捨て去る特殊な方法)に時間を費やさずに、知識としての教養ではなく、デジタルウィズダムというデジタルリベラルアーツを、即共有できるようにしているのである。

☆環境を構築して新しい方法が使いこなせるようになって、やっとデジタルウィズダムを共有しようなどと言っていると、今の中1は、従来の教育を強いられて卒業してしまうということになりかねない。

☆大事なことは、いまここという瞬間にデジタルネイティブにはデジタルネイティブのリベラルアーツを共有することなのである。

☆パソコンとプロジェクターと黒板は、今ではつなげばすぐに投影できる。電子教科書という、従来型の編集をただデジタル化しただけのソフトなど、デジタルネイティブに満足がいくはずがない。

☆それより、黒板を電子ボード以上の機能に変えてしまうのである。電子ボードが映し出す情報に翻弄されているのは、中世までの認識論とどこが違うのか、情報は外界から投影されるのではなく、こちらから投影するというカントのコペルニクス的転回を、いまここで生徒とともに共有できる機会を作っているのが共立女子の教師陣。

☆パラダイム転換は、近未来ではなく、いまここで行う教師の「創意工夫」の積み上げの連続があるときピーキーなカーブを描くのである。

☆そして「創意工夫」は、常にいまここで生徒と学びの共有がなければ、生まれてこない。それゆえ、 Marc Prenskyは、こう語るのだ。

Good・・・teachers・・・rarely lecture; they almost always let their students create "by and for themselves'' with the teacher's guidance.・・・・・・・The real changes our kids require will only come, in America and the worlds,from what every teacher does differently in every classroom,.

(From Digital Natives to Digital Wisdom Introduction By Marc Prensky Published in From Digital Natives to Digital Wisdom: Hopeful Essays for 21st Century Education Corwin 2012)

☆共立女子の教師陣は、デジタルウィズダムであるリベラルアーツを、それぞれの教室で、それぞれ創意工夫して共有しているのである。多なるものは1であり、1なるものは多なのである。

|

« 高偏差値と高次思考は全く違う! | トップページ | 台風 学校説明会・文化祭にも影響 »

21会校」カテゴリの記事