土浦日大中等教育学校のクオリティスコアが最高なわけ(2)
☆黒澤先生は、算数と数学とどう違うのだろうと問いかけるところから始まった。算数は計算や幾何学に代表されるように、実に実用的であるのは、参加者もすぐにわかった。
☆しかし、数学は方程式をつかったり、幾何も三角比なんかで解くから、算数が難しくなったものぐらいしか思い浮かばなかったかもしれない。
☆ところが、デカルトに象徴される近代科学が生まれたあたりから、実用的算数は歴史的にも大きく変わる。コペルニクス転回を果たす時代なのである。
☆19世紀末までは、それでも幾何が中心の数学である。数学の大転換を語るのなら、19世紀末の現代数学あたりから語るのかなあと思ったが、黒澤先生はデカルトにこだわった。ニュートンもアインシュタインもでてきたが、やっぱりデカルトだった。
☆しかし、その理由は、セミナーの時間が進むにつれ、明らかになった。というのも、そもそも「数学」という訳語が、常識的数学観をつくったのだと。つまり「数」を操作するのが数学という教科なのだとイメージされてしまっていると。
☆しかし、数学の教科書をめくっていくと、問題演習には数字はでてくるが、原理の説明には、数字はなくなっていくということを示した。これはどういうことかと会場内で対話。
☆そう!数字を使わない学びなのであると。会場内は「な、な、なんだア!」とざわめく。アッ、ジョン・ケージの4分33秒の音楽だと瞬間思った。音楽って音を奏でるコトではないでしょうという問いかけと同質の問いだったからだ。
☆考える方法を「考える」学問なんだよと。なるほどデカルトの「方法序説」がここに結ぶつくのか。方法を考える「思考する自分」という存在を「考える」デカルト。まるで螺旋。DNAじゃあないか。
☆すると、黒澤先生は、アリーナの展示をぜひみてください。そこに今回のテーマ「君はどこから来たの?」に対する、土浦日本大学中等教育学校の生徒たちの回答がありますよと。解答ではなく回答。
☆算数はすでに紀元前の天体やピラミッド建築で使われていたが、数学は近代の光だった。近代の光。それは自己を解明する光である。オルテガは、ピカソをみて、問題は目の奥に行き当たると言ったそうだが、そういうことか。
☆アリーナには壁という壁に、全校生徒が1人1枚描いた自己の表現が貼ってあった。螺旋になっていて、DNAを表現しているということだった。しかも800名弱の生徒全員分の絵をパラパラ漫画にして動画にもなっているという。
☆実は、今回のテーマ存在とは何かを参加者と考えるオブジェが階段にも埋め込まれていた。上記の写真に「星の王子様」の絵が隠れているのに気づいただろうか。
☆そして、数学も自分の存在を考える「思考学」であると黒澤先生によって語られたのである。
☆では、考えるとはどういうことなのか?脳トレのゲームをしながら、体感もするワークショップも埋め込まれたセミナーだった。
☆アインシュタインは、自分の理論は、物質の延長が空間であるというデカルトの発想を証明したに過ぎないと語ったが、自分の考えるという方法はデカルトが編み出した枠組みを超えることができないということを語っていたのだろう。
☆たしかに、ハイデルベルグも、ヴィトゲンシュタインも、ゲーデルも、ラッセルもフッサールも、デカルトの思考の矛盾を突くが、その限界を前に恐れおののいてしまう。彼らは何を見たのだろうか。IBのDPの数学では、この境地をデンジャラス・ナレッジというプログラムで立ち臨む。
☆存在の不思議。数学そのものである。おそるべし土浦日本大学中等教育学校の数学!参加者はすっかり魅入られていた。
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