土浦日大中等教育学校のクオリティスコアが最高なわけ(4)
☆ICT教育とは何かをテーマにした21世紀型社会科授業を展開しつつ、それが講演にもなっているという構成。劇中劇ならぬ講演中授業中評論。密度の高い講演で、通常の授業のハイクオリティが映し出されていた。
☆とにかく軽快なテンポ。しかも必ずコントラストで構成していく。ICTといえば、電子ボードかタブレット型PCかと問う。検証するには多様な省庁が出しているデータと現場の創意工夫を重ね合わせて、ズレを明快に照射していく。後者の方がすてきなことは、さらに鮮明になる説得力ありありのプレゼンテーションで証明。
☆キャラもしっかりつくっている。〇〇ネット〇〇のテレビショッピングのようなノリかと思えば、サンデル教授のような問いかけをする。こんな授業ウケたら、たしかに思考力がつく。モチベーションが盛り上がる。
☆しかし、それだけではないのだ。他校にないICTの活用方法を開陳していくのである。これまた考えるICTというわけなのである。
☆他校のどんなに優れたICT教師も、高木先生ような発想法は難しい。というのは、ICTはまだまだ危うい道具だという道徳的制約があるからである。
☆ところが、土浦日本大学中等教育学校は、立ちあがり当初からラップトップを1人1台解放しているから、紆余曲折情報倫理をいかに生徒に身につけさせるか苦労してきた。その結果、創造こそ危うさを払しょくするという段階に到達したのである。
☆だから、タブレット型PCは、メガネや杖と同じように身体化されたのである。メガネをつけている人にとって、メガネをかけていない自分は自分でない。杖をつかっている人にとって、杖をつかっていない自分は自分でない。
☆土浦日本大学中等教育学校の生徒にとって、タブレット型PCを使っていない自分は自分だろうか?ここにも今回のオープンハウスのテーマがあった。君はどこからきたの?
☆高木先生は、中1の奈良京都研修、中2の英国研修、中3の広島研修、高1の再び英国研修をボーディングスクールと呼ぶ。宿泊型探究学習ということだろう。
☆探求するテーマや訪れる場所は違うが、思考過程は同じ。事前に調べる、テーマを深める、実際に体験、フィールドワーク、事後探究、レポート、プレゼン・・・この一連の思考過程はどのボーディングスクールでも同じ構造。
☆この思考過程の全工程にタブレット型PCを持ち込むのである。あるときは目になり、あるときは記憶装置となり、あるときは編集思考となり、あるときは図や絵を描き、あるときはデータを調べる辞書になり、あるときは思考を投射するプロジェクターになる。あるときはネットで情報交換する対話にもなる・・・。
☆片時も離れないわけだから、自分の五感であり脳であり末端神経である。手で持つが、もはや身体化されている。身体の延長としてタブレット型PCは存在する。もはや物質的道具ではない。
☆ここまで、タブレット型PCを身体化することによって、危うい道具性を払しょくできる。
☆後は、ここまで身体化したタブレット型PCを実際に生徒とどう使うのか矢継ぎ早に映し出していった。比較、因果関係、多角的視点、カテゴライズ、図像のメタファ・・・。詩歌に隠された表現技法を見つけていくように、仏像の塑像に隠された意味を解き明かしていく。見慣れたものにこんなに発見があるなんてと会場は、高木先生のトークにぐいぐい惹きつけれらていく。
☆それらはPCの操作のようで操作ではない。思考過程そのものである。社会科の授業のシークエンスと生徒の思考の過程は見事にシンクロしているということが伝わってくる。
☆教師が教え、生徒が受信するのではない。教師と生徒が思考の過程をシェアしているのである。それはタブレット型PCが身体化することによって可能になる。電子黒板を身体化するのは物理的に不可能だ。
☆ある意味、映画マトリクスのような感覚。なるほど未来志向の社会科である。そして、このタブレット型PCとボーディングスクールのシンクロは、実は生徒全員、教師全員がシェアするのである。まさにマトリクスではあるまいか。
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