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好き勝手学校選択論(1)

☆fbにこんなことを書き込んだ。

いろいろ学校をみていると、授業論、ICT論、教師論の語れる学校はある程度ある。それだけでも感心するが、やはり、私学人としてのその学校の校長論が語れるところは、すごい。しかし、なんといっても麻布論とか聖学院論とか、開成論とかJG論とか、東大論とか語れるところが今のところ本物の学校だと思うにいたった。

学校の歴史は学校論ではない。そんなところはどこでも語れるだろう。実は振りかえると人が集まるところは学校論が語れそうなところ。ところで、振り返るのは、過去だけではない、未来も振り返ることができる。すると、戸板論が語れる。こういう学校は興味深い。

法の支配=制度=生徒の言動象徴が一貫してくる。たいていは、これがバラバラ。だから売り物はなにかという話になる。学校全体の話にはならない。そしてそういうバラバラの学校ではファシリテーターとかコーチという生徒不在論の正当化が平然と行われている。

そういう学校に子どもを入学させるというのは反面教師でよいのだけれど(^^;。学校論が語れるところを探していくことを保護者に勧めていきたい。

☆たとえば、大学進学実績のいいところは学校選択の1つの規準だけれど、それだけしか語れない学校は、やめといたほうがよい。

☆もちろん、大学進学実績がよくない学校もやめといたほうがよい。ただし、大学進学実績って何だろう。東大、早慶上智、MARCHという学歴社会尺度のお話しではない。

☆開成は、学歴社会尺度で測定すれば、大学進学実績はよいかもしれないが、生徒の伸び率でいけば、パフォーマンスは最低ではないだろうか。

☆偏差値40の生徒がMARCHレベルの大学にはいる学校の方が、伸び率は高い。本当はそちらの方が教育力の質は高いのではないか。

☆いろいろ考えるコトができるが、前者の規準では、学校論は語れない。学歴論は語れる。もちろん開成は開成論は語れるだろう。それだけ、時代と社会に影響を与えてきたからだ。偏差値伸長率が低いことなど、その影響率に比べれば、どうでもよいことだ。

☆麻布も麻布論を語れる。ここは開成に比べれば、偏差値伸長率は高い。偏差値が多少低くても才能を見出されて合格できる入試だからである。

☆私学の先生方は、高邁な学習理論を語る方もたくさんいるが、麻布の入試問題を見たことがない人が意外と多い。

☆そして見たとたんに二つ分かれる。うなって、こういう問題を作りたいと感動する先生とこんな「何ちゃって問題」を出しても何も測れないとかネガティブな評価をする先生。

☆前者は生徒の才能を理解し、後者は教師の立場しか考えていない。そういう生徒不在論を平気で語る学校は、残念である。そういう学校にかぎって、生徒は学習習慣をしっかりみにつけ「させなければ」ならないとか語る。

☆受験生の保護者は、説明会に行ったときに、自宅で学習習慣が着かざるを得ない授業をやっていますといっているのか、自宅で学習習慣を身に着けさせねばならないと家庭の責任に転嫁する学校か、よくよくその差異に敏感にならなければならない。

☆生徒が自宅で学習習慣を身に着けられないのは、学びは遊びであり、遊びは学びであるという学びの真理を知らない教師が学習習慣を身に着けなければダメだとそれがコーチングだと全く間違った学習理論を適応しているからである。

☆教師はプロであるというのなら、我流の学習理論を振り回しているのはおかしいのだ。能書きはいらない教育は愛だという抑圧はプロのやることではない。

☆良質の素材とそれを活用する方法論は、絶対的なものはないだろうが、その時代その生徒にとって適切なものがあるはずだ。伸びる企業、伸びる医療組織は、みな最適な技術や理論を学ぶのに、なぜそれを愛に反するみたいなことを言う学校があるのだろう。

☆明らかに古いし、先生方の経験が学校の取り組みとして制度として普遍になっていない学校がある。制度は自由を拘束するからと教師が主張すると経営者が困っている学校がある。

☆授業の中に議論を取り入れることは、先生方ができません。偏差値は教育上よくありません。知識は考える前に必要です。などなど未だに平気でそんなことを言っている。だれだれちゃんが笑顔で通ってくれるんです。それが本当の教育ですという学校はそれでよいのか。みんなが笑顔の学校じゃあおかしいだろう。

☆みんなが笑顔ではないから、笑顔でない生徒によりそいながら、対話をするではないか。だれだれちゃんが笑顔でというのは、精神性の伸長パフォーマンスが最低ということだ。その生徒ははじめから明るくて素直な生徒なのだろう。

☆かと思えば、タブレットと電子黒板を揃えてイノベーションを起こしています、すごいでしょうという学校がある。ベンツ買った、ブランド商品買ったすごいでしょうというのとどこが違うのだろうかとアレッと思うような学校もある。

☆反転授業やってますという学校もある。普通は新学期に教科書もらったら、たいていの生徒は春休みのうちに斜め読みするだろうし、授業の中で復習し、自宅では関連書籍を読み、深めるだろう。

☆反転授業は、教師の論理を押し付けるだけだ。インプットーコラボレーションーアウトプットしてますと言ってるけれど、生徒が自らインプットし、コラボしたくなり、アウトプットしているのが従来の優れた授業。

☆教師がインプットさせます。コラボさせます。アウトプットさせます。これじゃあ諸富教授が言うように、目に見えないアウシュビッツ状態じゃないか。

☆本当の反転授業は、動画も生徒自身が編集できなければ意味がない。いつから学習商品販売会社になったんだろう。

☆よく河合塾の模擬試験をやっています。ベネッセの模擬試験をやっていますというのを説明会で声高に言っている学校があるけれど、たとえば、麻布は絶対にそんなことは言わない。教師が自分で実力テストをつくるからだ。

☆河合塾やベネッセが学習商品販売会社であるのは、全く問題ない。ただ、学校がそうなってよいのかということである。

☆それから、東大なんか行かなくてよいとか、大学進学実績をあげなければと言いながら、東大に進学させる努力をしていない学校も、何を言っているのかわからない。学問の自由をきちんと守る学校でなければ。

☆東大はすべてでないけれど、選択肢の一つで、そこで学びたい生徒がいるのに、君は無理だよと平気で言ってしまう学校。そういう学校もナンセンスだ。

☆大学進学実績だけで学校選択をするのは、おかしいが、それは保護者が言うことであって、学校が言っても仕方がない。ちゃんと進路指導するのは当たり前なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。だからこんなに実績が上がったという学校は、保護者は、本音ではひいているのだ。

☆保護者が、この学校実績上がってきたというのは、いいのだ。受験市場が言うのはしかたがないのだ。市場は目先の感情で動くから、能書きはいらない。学校論なんて興味を持っていたらつぶれてしまう。ただ、学校がことさら言うモノではないということなのだ。

☆私たちは、社会を創るけれど、その社会に育成される存在でもある。循環している。そのバランスがわるくなると、一方的な流れになっておかしくなる。

☆一方向のことしか語れない学校や一方向授業しかできない学校は、商品販売をしているか商品としての体もなさないようなものを押し売りしているだけであり、教育を行っていない。注意されたし。

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