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2014中学受験【028】 海城学園の見識 

☆海城の中田大成教頭からメールを頂いた。「月刊私塾界」(2013年12月号)の特集「どうする?達成度テスト」を読んで感想を聞かせてほしいということだった。

☆教育再生実行会議の第四次提言をうけて、緊急インタビューを下村文科大臣はじめ7名(塾・予備校関係者3名+高校関係者3名)に行ったものが編集されていた。もちろん、論客私学人として中田先生も登場している。

☆読んだうえで、思い付きにすぎないが、次のように返信した。たいして参考にもならないだろうが、何のタイトルもない私に質問してくださったのだからと書いてみた。

中田先生

いつもながら大活躍されていて、何よりです。

いただいた資料では、中田先生だけが、世界標準の評価とその測定学の方法論で論じていますね。

他の方々は、ドメスティックな枠組みに適用する知識や知という話ですから、その枠組みの中ではたしかに問題ないのでしょう。つまりタキソノミーでは4レベルまでです。CEFRではB1B2レベルですね。

しかし、今度の入試改革の話は、成功するかどうかはともかく、ドメスティックな枠組みでは、世界標準の基準に包括されてしまって、足りない部分がある。その事実を受容しない頑なな態度が「知識偏重」にみえますよということですね。「非科学的」「不合理」ですよと。

人物重視も誰がその枠組みを破る最初のペンギンの知的素養(それを創造性とかいうのかもしれません。仲間に影響を与えるという意味で共感リーダーと呼ばれているのかもしれません。あるいはリベラルアーツ的要素。)を持っているか見てみみようというわけですね。

つまり、コミュニケーション知がひもづいた道徳発達段階では、脱慣習段階だし、タキソノミー的には5と6のレベル、CEFRではC1C2です。

何が良いのか悪いのかわかりませんが、世界標準は、IBの10の学習者像ではないですが、世界標準のレベルを1から6まですべてを満たすことによってグローバルシチズンとしての人間力(それは知だけではなく最終段階では自己決定段階ですから、感情も含めてです。何せ根底には自由・平等・友愛ですから)を身につけようということです。

今の日本知の問題は、その人間力を日本国民とかお金を稼いでくるグローバル人材とかのベッドの大きさに、人間を斬り割いてしまうプロクルステスのベッドということですね。

結局リベラルアーツとして、世界と国家と社会と個人の枠組みの話を論じなければなりません。20世紀型の国家と個人の枠組み、とくに日本の国家と個人の枠組みが、トホホの状態であるにもかかわらず、そこを論じないで、従来の枠組みを強化する話ばかりに終始しています。

もっとも論じなければというのはジクムント・バウマンも論じているのですが、そこから先がまだなんですね。そういう意味では、今回のような絶望的な風潮があるのは創造性のない日本の学者や官僚にはデザインができないのでしょう。

私学人はそこが見える。しかし、私立中高一貫校は、日本の中高の人口の7%ですから、そこを啓蒙するのはたいへんです。そんなことより、まずは自分たちが最初のペンギンになろうということでしょう。

知識とか思考とかグローバルとかリベラルアーツ、主体といっても、日本の明治以来の近代国家の枠組みで語るのか、世界のシステムで語るのかではだいぶ性格も変わってきますから。

吉田先生はそこがわかっているから、あえて多くを語らず、沈黙を守ったのでしょう。しかし、ご自分の学校では、大いに新しいことに取り組んでいます。

そうそう先生と同じ私学人であるはずの開成の校長ですが、科学者には珍しく、自分の使う言説である「知識」「学力」だとかの背景にある枠組みとかパラダイムとかいう論理負荷性について、それこそPDCAでチェックしていない語り方で驚きました。おそらくそういう込み入った話は編集段階でカットされたのでしょうね(笑)。

私学人として中田先生も、ご自身の学校を動かしていますね。がんばってください。いずれ、私学のそのような動きが社会を突き動かすことになるでしょう。故中島先生は、教養とは社会を動かすことだと語ったそうです。まさに中田先生流儀そのものですね。

本間

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