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2014年の1つの読み方 グローバル人材のための大学入試改革を考えるために

☆2014年は、引き続きグローバル人材育成時代だし、大学入試改革が本格稼働し始める時代。これは、アベノミクスで盛り上がっている自民党の政策によるものではなく、グローバリゼーションの必然的な流れ。

☆アベノミクスはそれを政策にどのように織り込めるかが試されているだけである。

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☆だから、私たちはその政策が時代の要請を最適化するかどうかチェックする必要があるし、この動向にレーダーを起動しておかねば、未来の選択を誤ることもあるだろう。

☆グローバル人材や大学入試改革が必要だと時代が声を発しているのは、いろいろな理由があるが、中高一貫校を選択する側にとって、大事なものは中高生の自己肯定感の低さにある。

☆これは偏差値序列のせいであると言って、脱偏差値路線にすればよいという問題ではない。そのことを考えさせられる好対照な著者の論考

「ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア」 (講談社現代新書) 波戸岡景太著

<時代を読む~若手論客に聞く(1)社会思想・政治学者=白井聡さん「平和と繁栄の終わり」>カナロコ by 神奈川新聞 1月1日(水)6時0分配信

☆を読めばわかってくる。波戸岡氏も白井氏もともに1977年生まれの学者。つまり30代の見識者である。

☆私たちの教育は、団塊・断層の戦後世代が築き上げてきた。両氏からすればすれば、その時代認識は、学歴社会を肯定しようが批判しようが、そのような高度資本主義あるいはモダニズムである。

☆政治や文化はそれを強化してきたが、その高度資本主義やモダニズムはアメリカナイズと置き換えてもよいだろう。もちろんこんな単純な置き換えは両氏からすれば違うということになるのかもしれない。

☆白井氏はドラえもんのキャラクターであるスネ夫をこれまでの日本にたとえるし、波戸岡氏はのび太を現代日本にたとえる。便宜上のメタファーだから両氏からすれば、深い意味はないと言われるかもしれない。

☆しかし、ドラえもん自体の時代が高度資本主義やモダニズムそのもので、それを形づくっている政治経済権力関係が、スネ夫からのび太にシフトしてきていると捉えなるならば、両氏のメタファはたんなる説明の道具ではない。

☆ただ、両氏の見方をスネ夫からのび太へという結びつけをするのは、ファンタジーモダニズムであり、白井氏はあくまで戦後日本を永続するスネ夫だと認識している。つまり過去を振り返らず右肩上がりの成長神話を信じ続ける成長神話モダニズムが今も蔓延していると。

☆また波戸岡氏は、日常ののび太に焦点をあてており、劇場版で見せるネバーエンディングストーリーの主人公のように冒険に乗り出し、成長するのび太くんの存在を認めていない。現代日本の現状は、過去を振りかえることはタブーであり、未来を描くこともできない諦念の狭間にあるのだとしている。

☆これを両氏は丁寧に戦後の歴史を振り返りながら、この永続する高度資本主義に対抗する運動体がアメリカやドイツのポップアートだったとしている。

☆そして日本では、そのポップアートはポストモダンの流れの中で商品化してしまった。ポストモダニズムは高度資本主義の強化として作用するから、ポップアートは日本のみならず、モダニズムに飲み込まれてしまったのだと。

☆それで、ポップではなくライトの登場なのだと。この時代の変化を見逃さないようにしようというのが、アプローチと批判ターゲットがかなり違うが、両氏の時代認識である。

☆団塊・断層世代がつくりあがてきた学校システムは、モダニズムないしポストモダニズムの時代認識がベースであるから、その中で抑圧的人間関係をどのように解消するかがテーマだった。

☆最近では、そのような学校内の抑圧的人間関係をスクールカーストと表現し、それが生み出す教育問題をいかに解決するかということばかりが注目されてきた。

☆しかし、このスクールカーストに属さない「ぼっち」という存在が表れた。これはモダニズムの中で自分の居場所を見つけるオタクとは違う。居場所を見つけられないで社会の病理にもみくちゃにされている子どもたちとも違う。

☆現行の社会システムはモダニズムやポストモダニズムの時代認識にいまだに依拠しているが、ライトモダニズムというべき時代認識への転換を時代が要請しているのかもしれない。

☆ファンタジーモダニズムは、理想へのノスタルジーをベースに未来を描く。ライトモダニズムは、過去の壮絶さを拒否して、未来にも背を向ける。しかし、希望はそこから生まれると確信している。

☆このライトモダニズムは、ベルリンの壁崩壊以降何度も表舞台にでてきたが、その都度モダニズムに抑えつけられた。その闘争は世界を巻き込む葛藤を生み出してきたし、今も生み出していることは火を見るより明らか。

☆日本では、3・11で、再びライトモダニズムの重要性が顧みられた。しかし、再びアベノミクス。

☆アベノミクスはモダニズム・ポストモダニズムの時代認識をベースにして、時代の要請をなんとかプロクルステスのベッドで乗り切ろうとしている。

☆しかし、ファンタジーモダニズムとライトモダニズムが時代の要請をプロクルステスのベッドから救おうとしている。

☆果たしてうまくいくだろうか?おそらくいかない。というのも、ファンタジーにしろライトにしろ、結局はモダニズム・ポストモダニズムとリニアーな時間認識を共有しているからだ。

☆つまり数学的時間概念が、ニュートンどまりなのである。世界のグローバル教育、たとえば、IB(国際バカロレア)の学びは、このニュートン時間にチャレンジしている。

☆実はファンタジーモダニズムもファンタジーの中では描いてきた。ライトモダニズムは「ぼっち」の世界で描いてきた。それはいまだリアルではないが、動き出していることも確かだ。そのダイナミックな力に突き動かされてグローバル人材育成や大学入試改革が隆起している。

☆明治時代に封建的時間認識が世界のダイナミックな動きで崩壊したように、再びグローバルな力でモダニズムやポストモダニズムの時間認識が崩れようとしているのかもしれない。

☆時間認識が変わるとき、時代認識も変わる。今時代はそれを要請している。

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