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伸びる学び 伸びない学び[01]

☆グローバルな時代に翻弄されないために、知を身につけることは重要である。そのことを今や疑う人はいない。しかし、この「知」なるものが何であるかは、人によってだいぶ違う。

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☆それゆえ、それをいいことに、得体のしれない偽装の学びが闊歩し、子どもたちの大事な才能の芽が摘まれている。それゆえ、保護者は、わが子の才能を活かせる学びの環境を見つける努力をしている。

☆しかしながら、その学びの環境も、才能を伸ばすのではなく、世界には役に立たない日本の大学入試に通じる技術だけを教えるトレーニング環境にすぎず、結局大学や社会で「知」を身につける力が伸びないで終わってしまうケースを、多くの人が目撃しているだろう。

☆子どもを思う保護者とともに、いやすでに小学校6年生以上になれば、本人がすでにうすうすそのことを感じているから、世界の変化に翻弄されるのではなく、そんな世界を変える学びのリーダーになるべく、ここでいっしょに考えていきたい。

☆まず、学びは難しいことをいきなり学ぶ必要はないというのは、本当である。だから、基礎基本をしっかり身につけていればどこかで才能は花開く。それは伸びる学びである。

☆しかし、【図1】にあるように、難度は「基礎」であっても、思考のレベルは知識→理解→適用→分析→統合→創造というすべてのレベルを経巡っているという意味で、「基礎基本」なのである。

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☆ところが、多くの場合、【図2】のように、難度の側面しか見ずに「基礎基本」だと錯認している。だから、与えられたテキストの中の単語や知識を調べて、書いている内容が理解されればそれで、「基礎基本」は到達ということになる。

☆しかし、公立小学校の学びは、ほとんどがこの意味で「基礎基本」なのである。教科書を理解していればよいわけである。単元テストもこの範囲を出るようなものではない。いくらこのテストで満点をとっても、一歩他のテキストに直面したらもはや適用力がないのである。

☆だから、保護者は、読書を大切に思うし、スポーツジム、お絵かき教室、ピアノ教室などのお稽古にアンテナを張り巡らせる。

☆無意識ではあるが、これによって【図2】のエリアを超えて、【図1】のようなエリアで真正の学びを行えるように補完しているのである。

☆しかし、これも小学校低学年までで、高学年になると、中学受験で補完しようとする。また中学受験をしない場合、子どもの意向に任せてしまう。自由にのびのびと言いながら、【図2】のエリアの学びになってしまう。

☆お絵かきやピアノはやめ、どちらかというとスポーツに傾く。ところが、この時期のスポーツはゲームの勝ち負けに終始し、才能を伸ばさせる将来のアスリートは、もっと専門的なコミュニュティに進むことになるから、ここでも才能の芽は開花しない。

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☆では、中学受験の準備をすれば、大丈夫かというとそれは運不運がある。たいていの場合は、学びを「難度」の側面からしかみない。だから、【図3】のように、知識と理解の難度のハードルをあげてトレーニングする塾がほとんどで、これだと、思考のレベルが「知識→理解」からジャンプできないので、様々な状況で適用ができず、結果的に「知」を身につける力が伸びないまま社会人になってしまう。

☆しかし、運不運の分かれ目は、学校選択なのである。選んだ学校の入試問題が【図4】のような「難度」と「思考のレベル」の両軸が機能していれば、その学校に向かって受験勉強をすれば、結果的に「知」を身につける力が伸びるのである。

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☆仮に塾が「難度」のメガネでしか「知」というものを見ることができなくても、その塾が【図4】のようなエリアで入試問題を出題する学校に合格させようとすると、それなりに分析し、その入試問題を解く技術を構築するからである。

☆その塾は、それをその学校突破の受験テクニックとして売るが、その学校にしてみれば、真正の思考のテクニックであり、すべての子どもに身につけてほしい思考方法なのである。

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