教師は仕事力か人間力か 本当の問題は?
☆為末大さん(スポーツコメンテーター)が「Japan In-Depth 4月26日(土)20時41分配信」ですてきな投げかけをしている。
学校の教員は聖職であり、公的な職業についているのだから、私生活よりも仕事を優先すべきだという意見がある。
確かに教育は大事な領域で子供達に与える影響も大きく、有る意味では将来の国づくりに関わっている。 職業に貴賎はないというのが僕の理想論だけれど、確かに職業によっては社会に与える影響が大きいものもあるのは事実だと思う。
☆つまり、教師は仕事力以上に人間力を求められている仕事であるという。ハンナ・アレントによると、レイバー→ワーク→アクションという仕事の次元の違いがあるが、教師はアクションの次元にあたるのかもしれない。
☆労働時間を給与に換算できるのは、レイバーとワーク。アクションはそのモノサシにはあたらない。
☆それなのに、教師はアクションの次元を求められながら、次のように給与体系は、ワークという交換経済の枠内に押し込められる。犠牲を美化して!
昔、先輩で練習量を増やさないと、苦しい練習をしないと気が済まない人がいた。実際には練習効果があるかどうかよりも自分が支払う苦しさという犠牲で自分を評価していた。悲しいかな彼の競技力は伸びどまった。
犠牲で評価をする世界では、女性が子育てをしながら余裕を持つことも、無駄な残業を減らすこともできないように思う。女性が働く環境の整備、待機児童を減らすこと、労働基準法を作ること。いろんなものを犠牲で評価する文化が全て建前にしてしまう。
誰かが犠牲になっているから社会が成り立っている側面はある。そして最近は、犠牲になっている人に「それがあなたの望みでしょう」と徹底的に犠牲を押し付ける風潮があるように思う。
☆仕事力は交換経済で測ってよいが、人間力は贈与論経済でいくしかないだろう。古くて新しい経済社会。
☆21世紀型資本主義は、すべてを交換経済に押し込むのではなく、贈与論的経済も加味するほうがよい。
☆それには、いったん教師は全員が、個々「契約」をする体制にもっていったほうがいい。正規の仕事ではないの?いや、その場合、教師は全員株式会社のオーナーになるから社長ということになる。
☆週5日は交換経済の契約。部活や土曜学習は、贈与論的契約。先生のスペシャルな人間力に、生徒の保護者はお金を贈与する。オークションでもよい。隣の学校の保護者が、土曜日はこちらにきてください。部活もこちらにきてくださいという流動性が高くてもよい。
☆学校・教師・保護者が納得のいく贈与論的契約が成立すればよいのである。社会保険などは?会社なのだから、自分で支払うでよいわけである。
☆しかも会社だから、自分以外の人材と協力できる。
☆そんな面倒なと思われるかもしれない。しかし、そうすれば、教師のモチベーションも上がり、子どものケアもきめ細かくなる。
☆教師はお金ではないとまたまた言われるかもしれない。いやそれは略奪資本主義のお話しで、相互に夢を実現できるシェア資本主義であれば別のお話しである。
☆21世紀型教育を遂行するには、経済も略奪資本主義からシェア資本主義にパラダイムシフトしなければならないだろう。
| 固定リンク
「グローバル人材」カテゴリの記事
- おもしろいけれど。「劇団四季で学んだプロフェッショナルとアマチュアのほんのわずかな違い~生き残る人・消える人~11のポイント」(2015.05.09)
- 関空の外国人客数、日本人を上回る(2014.10.22)
- 教師は仕事力か人間力か 本当の問題は?(2014.04.27)
- アンケートご協力ありがとうございました。(了)(2014.02.08)
- アンケートご協力ありがとうございました。(3)(2014.02.08)
最近のコメント